紙版画作品『日々刻々』@ギャラリーみずのそら(2009)

2009年のみずたま雑貨店さんとの二人展『日々刻々』で展示していた作品の一部です。

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『さよなら私』

※以下、付属させていた文章も掲載します。テキストを欲しいとおっしゃって下さった方、ご覧頂いていましたらどうぞお持ち下さい。

私は歩いている。

北東から吹きつける風に体をあおられ、

轍に足を取られ、その歩みはひどく遅いので、

日々は刻々と迫り来て、あばよと私を追い抜いていく。


冬の弱々しい陽射しが作った大袈裟な影は、

そんな私を笑っているようにも、

ここから逃げ出したそうにも見える。





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『お別れのダンス』

私のおそらく一番古い記憶の中にいるのは、踊る母だ。

母は今の姿からは想像も出来ないほど若く、ずっと痩せていて、
まるで別人のようにきれいだ。
その踊りも、踊りというよりはむしろ灼熱のアスファルトの上で、
アチチアチチと飛び上がっているよう。

時折吹きつける風が、人間でいうならば、
定年間近のバーコードサラリーマンさながらに頼りない木々を揺らして、
しがみつく葉を無情に散らす。
母も今にも体ごと飛ばされてしまいそうだ。

ひょっとしたらこれは記憶ではなく、
夢か何かとごちゃまぜになっているのかもしれない。
何故なら私の知る母は、そんな奇妙な踊りを踊るような愉快な人ではないし、
しかも母は、私がまだ十代の頃に気に入っていた
毒々しい大きな花が配されたワンピースを着ているのだ。
けれど悔しい事にそれは、私よりもずっと似合っている。

飛んだり跳ねたりする度、風に飛ばされそうになる母を、私は見つめている。
踊れ踊れ踊れ。
と念じながら。

そして生まれた瞬間から、母が母だった訳ではないのだという当たり前を思う。
この若くきれいな、奇妙な踊りを踊る母とは、
いい友達になれそうな気がする。






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『もうすぐ0になる』

家までの帰り道、
雪の上に残された野良犬の足あとを辿るのが好きだった。
雪の下に潜む氷に足を取られない様に、
野良犬の足あとを見失わない様に、
ずっとそんな風に足下にばかり気をとられて歩いていたから、
私はすっかり猫背になってしまった。

いつか野良犬の足あとを追って歩いているうちに、
気がついたら見たこともないY字路に私は立っていた。
日が暮れて、灯った街灯に雪が青く反射して、
まつ毛に積もる雪が、ひどく重たく感じられた。

野良犬の足跡も、
錆び付いたトタン屋根も、
曜日を間違えた生ゴミも、
子供が忘れていった蛍光色の遊具も、
雪が覆い隠して、もうすぐ0になろうとしていた。







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『きみの声が聞きたいな』

その男はフナオといった。

3ヶ月ほど前まで、小学校裏にある湖に暮らしていた「鮒」だったそうだ。
と言っても、彼から直接話を聞いた訳ではない。
フナオは声というものを持たなかったため、
全ては筆談とジェスチャーで得た情報だ。

かいつまんでいうと、一年前、
彼は湖にやってきた女の、その水切りのフォームのあまりの美しさに恋に落ちた。
どうにかして彼女に近づきたいという思いをつのらせ、悩みに悩んで9ヶ月、
ついに鮒の立場を捨て、人間になることを決意した。
鮒一族の長老に直訴し、仲間の批判、中傷、罵倒、あざけりをもろともせず、
門外不出の呪術により見事人の形を手に入れた。
しかし、それと引き替えに声を失ったのだと、
悩んだという割には実に用意周到に、
9ヶ月かけて独学で学んだという拙い文字でフナオは綴った。
「思いをつのらせ」の部分は両手でハートの形をつくり、
胸の前で前後させるという、実にベタなジェスチャーだった。
何とも馬鹿馬鹿しく未熟な虚言だとは思ったが、
一方で私はその話を面白可笑しく聞いた。
フナオの目は、まさに恋する者のソレであったので。
それに、他人の恋の話は私の様なOLの大好物だ。
例えその主人公が人間であろうと鮒であろうと。

ところでその「水切りの女」というのは、
私と同じ会社で働く経理の篠原さんだった。
自分の大切な何かを引き替えにするほどの、
大した魅力もない冴えない女だけれど、
確かに顔が鮒っぽくなくもないところが、妙に話にリアリティを持たせたし、
何より篠原さんは高校時代、
ソフトボール部で全国大会3位という経歴の持ち主だった。

フナオは今、篠原さんへの恋文をしたためているそうだ。
声にするよりも、耳で聞くよりも、強く熱い言葉が、
そこには刻まれているに違いない。






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『私の深い森』

頭の中は森に似ている。

腐敗した落ち葉が深く層をなすふかふかの地面は海馬。

根を張る太さもまちまちな木々と、複雑に伸びる枝は、

そこに刻まれた記憶のシワだ。

鬱蒼として、光も届かないし、

生き物が住まう事もなければ、

ピクニックも出来ないが、

曖昧な私を「今」にぶらさげておくための森。

時折、枝をポキリとやって、息を止め、

一気に走り抜ける。






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『僕らはひとりになった』
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by sakamotochiaki | 2010-10-21 23:00 | ◎これまでの版画作品 | Comments(2)
Commented by しみず at 2009-02-23 11:32 x
今回のような文章と版画をまとめた、
ちょっとマニアックな『大人の絵本』つくったらステキだろうね〜。そのときの装丁は是非しみずに!(笑)
Commented by sakamotochiaki at 2009-02-23 12:26
しみずさん
嬉しいお言葉有り難うございまっす!
絵本、私には縁遠いものだと思ってこれまで来ましたけど、
工房でも「なあに〜?絵本?お話があるの〜?」と
声をかけられる事が多くて、「へー」と思っていたのでした。
今回は版画が先、文章は後、という逆パターンだったんですけど。

本はずーっと作ってみたいんですけど。
どんな本を作りたいとか、ぼんやりモヤモヤで(笑)
でも、何かの時はぜひぜひ!!