2010年 10月 21日
紙版画作品『日々刻々』@ギャラリーみずのそら(2009) |
2009年のみずたま雑貨店さんとの二人展『日々刻々』で展示していた作品の一部です。
『さよなら私』
※以下、付属させていた文章も掲載します。テキストを欲しいとおっしゃって下さった方、ご覧頂いていましたらどうぞお持ち下さい。
私は歩いている。
北東から吹きつける風に体をあおられ、
轍に足を取られ、その歩みはひどく遅いので、
日々は刻々と迫り来て、あばよと私を追い抜いていく。
冬の弱々しい陽射しが作った大袈裟な影は、
そんな私を笑っているようにも、
ここから逃げ出したそうにも見える。
『お別れのダンス』
私のおそらく一番古い記憶の中にいるのは、踊る母だ。
母は今の姿からは想像も出来ないほど若く、ずっと痩せていて、
まるで別人のようにきれいだ。
その踊りも、踊りというよりはむしろ灼熱のアスファルトの上で、
アチチアチチと飛び上がっているよう。
時折吹きつける風が、人間でいうならば、
定年間近のバーコードサラリーマンさながらに頼りない木々を揺らして、
しがみつく葉を無情に散らす。
母も今にも体ごと飛ばされてしまいそうだ。
ひょっとしたらこれは記憶ではなく、
夢か何かとごちゃまぜになっているのかもしれない。
何故なら私の知る母は、そんな奇妙な踊りを踊るような愉快な人ではないし、
しかも母は、私がまだ十代の頃に気に入っていた
毒々しい大きな花が配されたワンピースを着ているのだ。
けれど悔しい事にそれは、私よりもずっと似合っている。
飛んだり跳ねたりする度、風に飛ばされそうになる母を、私は見つめている。
踊れ踊れ踊れ。
と念じながら。
そして生まれた瞬間から、母が母だった訳ではないのだという当たり前を思う。
この若くきれいな、奇妙な踊りを踊る母とは、
いい友達になれそうな気がする。
『もうすぐ0になる』
家までの帰り道、
雪の上に残された野良犬の足あとを辿るのが好きだった。
雪の下に潜む氷に足を取られない様に、
野良犬の足あとを見失わない様に、
ずっとそんな風に足下にばかり気をとられて歩いていたから、
私はすっかり猫背になってしまった。
いつか野良犬の足あとを追って歩いているうちに、
気がついたら見たこともないY字路に私は立っていた。
日が暮れて、灯った街灯に雪が青く反射して、
まつ毛に積もる雪が、ひどく重たく感じられた。
野良犬の足跡も、
錆び付いたトタン屋根も、
曜日を間違えた生ゴミも、
子供が忘れていった蛍光色の遊具も、
雪が覆い隠して、もうすぐ0になろうとしていた。
『きみの声が聞きたいな』
その男はフナオといった。
3ヶ月ほど前まで、小学校裏にある湖に暮らしていた「鮒」だったそうだ。
と言っても、彼から直接話を聞いた訳ではない。
フナオは声というものを持たなかったため、
全ては筆談とジェスチャーで得た情報だ。
かいつまんでいうと、一年前、
彼は湖にやってきた女の、その水切りのフォームのあまりの美しさに恋に落ちた。
どうにかして彼女に近づきたいという思いをつのらせ、悩みに悩んで9ヶ月、
ついに鮒の立場を捨て、人間になることを決意した。
鮒一族の長老に直訴し、仲間の批判、中傷、罵倒、あざけりをもろともせず、
門外不出の呪術により見事人の形を手に入れた。
しかし、それと引き替えに声を失ったのだと、
悩んだという割には実に用意周到に、
9ヶ月かけて独学で学んだという拙い文字でフナオは綴った。
「思いをつのらせ」の部分は両手でハートの形をつくり、
胸の前で前後させるという、実にベタなジェスチャーだった。
何とも馬鹿馬鹿しく未熟な虚言だとは思ったが、
一方で私はその話を面白可笑しく聞いた。
フナオの目は、まさに恋する者のソレであったので。
それに、他人の恋の話は私の様なOLの大好物だ。
例えその主人公が人間であろうと鮒であろうと。
ところでその「水切りの女」というのは、
私と同じ会社で働く経理の篠原さんだった。
自分の大切な何かを引き替えにするほどの、
大した魅力もない冴えない女だけれど、
確かに顔が鮒っぽくなくもないところが、妙に話にリアリティを持たせたし、
何より篠原さんは高校時代、
ソフトボール部で全国大会3位という経歴の持ち主だった。
フナオは今、篠原さんへの恋文をしたためているそうだ。
声にするよりも、耳で聞くよりも、強く熱い言葉が、
そこには刻まれているに違いない。
『私の深い森』
頭の中は森に似ている。
腐敗した落ち葉が深く層をなすふかふかの地面は海馬。
根を張る太さもまちまちな木々と、複雑に伸びる枝は、
そこに刻まれた記憶のシワだ。
鬱蒼として、光も届かないし、
生き物が住まう事もなければ、
ピクニックも出来ないが、
曖昧な私を「今」にぶらさげておくための森。
時折、枝をポキリとやって、息を止め、
一気に走り抜ける。
『僕らはひとりになった』
『さよなら私』
※以下、付属させていた文章も掲載します。テキストを欲しいとおっしゃって下さった方、ご覧頂いていましたらどうぞお持ち下さい。
私は歩いている。
北東から吹きつける風に体をあおられ、
轍に足を取られ、その歩みはひどく遅いので、
日々は刻々と迫り来て、あばよと私を追い抜いていく。
冬の弱々しい陽射しが作った大袈裟な影は、
そんな私を笑っているようにも、
ここから逃げ出したそうにも見える。
『お別れのダンス』
私のおそらく一番古い記憶の中にいるのは、踊る母だ。
母は今の姿からは想像も出来ないほど若く、ずっと痩せていて、
まるで別人のようにきれいだ。
その踊りも、踊りというよりはむしろ灼熱のアスファルトの上で、
アチチアチチと飛び上がっているよう。
時折吹きつける風が、人間でいうならば、
定年間近のバーコードサラリーマンさながらに頼りない木々を揺らして、
しがみつく葉を無情に散らす。
母も今にも体ごと飛ばされてしまいそうだ。
ひょっとしたらこれは記憶ではなく、
夢か何かとごちゃまぜになっているのかもしれない。
何故なら私の知る母は、そんな奇妙な踊りを踊るような愉快な人ではないし、
しかも母は、私がまだ十代の頃に気に入っていた
毒々しい大きな花が配されたワンピースを着ているのだ。
けれど悔しい事にそれは、私よりもずっと似合っている。
飛んだり跳ねたりする度、風に飛ばされそうになる母を、私は見つめている。
踊れ踊れ踊れ。
と念じながら。
そして生まれた瞬間から、母が母だった訳ではないのだという当たり前を思う。
この若くきれいな、奇妙な踊りを踊る母とは、
いい友達になれそうな気がする。
『もうすぐ0になる』
家までの帰り道、
雪の上に残された野良犬の足あとを辿るのが好きだった。
雪の下に潜む氷に足を取られない様に、
野良犬の足あとを見失わない様に、
ずっとそんな風に足下にばかり気をとられて歩いていたから、
私はすっかり猫背になってしまった。
いつか野良犬の足あとを追って歩いているうちに、
気がついたら見たこともないY字路に私は立っていた。
日が暮れて、灯った街灯に雪が青く反射して、
まつ毛に積もる雪が、ひどく重たく感じられた。
野良犬の足跡も、
錆び付いたトタン屋根も、
曜日を間違えた生ゴミも、
子供が忘れていった蛍光色の遊具も、
雪が覆い隠して、もうすぐ0になろうとしていた。
『きみの声が聞きたいな』
その男はフナオといった。
3ヶ月ほど前まで、小学校裏にある湖に暮らしていた「鮒」だったそうだ。
と言っても、彼から直接話を聞いた訳ではない。
フナオは声というものを持たなかったため、
全ては筆談とジェスチャーで得た情報だ。
かいつまんでいうと、一年前、
彼は湖にやってきた女の、その水切りのフォームのあまりの美しさに恋に落ちた。
どうにかして彼女に近づきたいという思いをつのらせ、悩みに悩んで9ヶ月、
ついに鮒の立場を捨て、人間になることを決意した。
鮒一族の長老に直訴し、仲間の批判、中傷、罵倒、あざけりをもろともせず、
門外不出の呪術により見事人の形を手に入れた。
しかし、それと引き替えに声を失ったのだと、
悩んだという割には実に用意周到に、
9ヶ月かけて独学で学んだという拙い文字でフナオは綴った。
「思いをつのらせ」の部分は両手でハートの形をつくり、
胸の前で前後させるという、実にベタなジェスチャーだった。
何とも馬鹿馬鹿しく未熟な虚言だとは思ったが、
一方で私はその話を面白可笑しく聞いた。
フナオの目は、まさに恋する者のソレであったので。
それに、他人の恋の話は私の様なOLの大好物だ。
例えその主人公が人間であろうと鮒であろうと。
ところでその「水切りの女」というのは、
私と同じ会社で働く経理の篠原さんだった。
自分の大切な何かを引き替えにするほどの、
大した魅力もない冴えない女だけれど、
確かに顔が鮒っぽくなくもないところが、妙に話にリアリティを持たせたし、
何より篠原さんは高校時代、
ソフトボール部で全国大会3位という経歴の持ち主だった。
フナオは今、篠原さんへの恋文をしたためているそうだ。
声にするよりも、耳で聞くよりも、強く熱い言葉が、
そこには刻まれているに違いない。
『私の深い森』
頭の中は森に似ている。
腐敗した落ち葉が深く層をなすふかふかの地面は海馬。
根を張る太さもまちまちな木々と、複雑に伸びる枝は、
そこに刻まれた記憶のシワだ。
鬱蒼として、光も届かないし、
生き物が住まう事もなければ、
ピクニックも出来ないが、
曖昧な私を「今」にぶらさげておくための森。
時折、枝をポキリとやって、息を止め、
一気に走り抜ける。
『僕らはひとりになった』
by sakamotochiaki
| 2010-10-21 23:00
|
Comments(2)
Commented
by
しみず
at 2009-02-23 11:32
x
今回のような文章と版画をまとめた、
ちょっとマニアックな『大人の絵本』つくったらステキだろうね〜。そのときの装丁は是非しみずに!(笑)
ちょっとマニアックな『大人の絵本』つくったらステキだろうね〜。そのときの装丁は是非しみずに!(笑)
0
Commented
by
sakamotochiaki at 2009-02-23 12:26
しみずさん
嬉しいお言葉有り難うございまっす!
絵本、私には縁遠いものだと思ってこれまで来ましたけど、
工房でも「なあに〜?絵本?お話があるの〜?」と
声をかけられる事が多くて、「へー」と思っていたのでした。
今回は版画が先、文章は後、という逆パターンだったんですけど。
本はずーっと作ってみたいんですけど。
どんな本を作りたいとか、ぼんやりモヤモヤで(笑)
でも、何かの時はぜひぜひ!!
嬉しいお言葉有り難うございまっす!
絵本、私には縁遠いものだと思ってこれまで来ましたけど、
工房でも「なあに〜?絵本?お話があるの〜?」と
声をかけられる事が多くて、「へー」と思っていたのでした。
今回は版画が先、文章は後、という逆パターンだったんですけど。
本はずーっと作ってみたいんですけど。
どんな本を作りたいとか、ぼんやりモヤモヤで(笑)
でも、何かの時はぜひぜひ!!