自分の近く

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無事、年末帰省の新幹線チケットが取れてホッとした。今度は復路分かー。毎年の事とはいえプレッシャー。混雑する時期を避けて帰省するのは賢いと思うけれど、大晦日と正月、老いた両親だけ(私は一人っ子)で過ごすなんてゾッとする。家人の実家には大変申し訳ないけれど、あちらには義妹一家がやって来てくれるので、毎年甘えさせて貰っている。天草のお雑煮や、冬しか食べられないものには後ろ髪を引かれるのだけれど。あ、嫁として危うくなる一方の立場にもか。

今日の午前中、1本の電話があった。
私の大切な友人が、とても辛い状況におかれている事を知る。あまりの事に、すぐには何と言って良いのかわからなかった。私は彼女より一回りも年下なので、当然人生経験は彼女の方が豊富だし、私なりに頭で一生懸命考えて口にした言葉は、たいそう深みの無いものだったかもしれない。脳天気にすら感じたかもしれない。けれど、今の彼女に到底及ばないまでも、私がかつて窮地に陥ってしまった時、彼女は徹底的に私を励まし続けてくれた。彼女の持ち味である、数々の困難を乗り越え、何かを吹っ切った人だけが持つ凛とした明るさでもって、大袈裟で無く生きる力を与えてくれた。だから今日、受話器の向こうで涙を堪えられずにいる彼女に対して、もらい泣きしそうになるのをグッと堪え、話した。かつて彼女が私にしてくれた様に。
幸い彼女には素晴らしい旦那様と良く出来た息子さんが居る。最近、そこに子犬も仲間入りして、彼女を支えてくれている。それが救い。


今日直ちゃんから教えてもらったサイト。以前リンクしたファンサイトとも重複していますが。
2001年3月6日に催されたオックスフォード大学でのマイケル・ジャクソン初となる講演の全文(和訳)。英文と音声はこちらから。音と一緒に読むといいかも。

まずは改めてマイケルならではの、穏やかで、とうとうとしていながらも、一切のブレも淀みもないスピーチに感心する。そして、あのジャネットがプレゼンテーターだった感動的なグラミーレジェンド授賞式でのスピーチは、まだまだ触りも触りだったのだなあと思う。ジャクソン5の生みの親である父親との確執の根深さが、読んでいて苦しくなるほど。人は多かれ少なかれ、肉親との愛憎というか、わだかまりというか、負の気持ちを抱え生きているものだと思うけれど、とても比較にならない。
けれど、改めて映画の中の、あの何もかもを許容するような、その前ではどんな人も無力になってしまうような人間性の大きさのルーツを垣間見て、深く納得する。
どうしてここまで達観する事ができたんだろう。彼と同じ状況にあれば、誰しもそうなるとは限らないし、むしろ真逆に進んでいく人の方が多いだろうに。本人も言っている様に、本当に精神年齢が80歳なのかもしれない。普通の人の人生を何周もしてしまった結果なんだろうか。

彼が容姿の変貌を遂げたのも、自分の中にある父の面影から逃れたかったのかもしれないとも思えた。彼が長年尽力してきた慈善事業であるとか、我が子へ惜しみなく注いできた愛情にも、そんな父親との関係に起因していて、でもその果てには父親への許しがあった。
いや、私だったら許せないと思う。根深い親子の確執とは、なかなか簡単には解決しないものだ。友人の中にも、この年齢になってもなお、まだまだ親から受けた深い傷が癒えないまま、行きつ戻りつ生きている人もいる。血が繋がっているからこそ、ややこしい。そして、何事においても「許す」という事は並大抵の事じゃない。そんな風には思えないまま、私など、死んでからも引きずり続けるだろう。恨みごとを並べ立てて、自分という人間を力ずくで肯定して生きるだろう。
マイケルやマイケルの様な状況にあった人々の、長い長い苦悩など、もちろん到底想像も出来ないけれど。


マイケルをきっかけに、自分にも出来る事は何だろうと、ぼんやりと考えていたのだけれど、今朝の電話で、自分の周りの大事な人が、悲しい事態に陥っていているのを、まずは助けなければならないと思った。何か大それた事をする訳ではないけれど。それを無視して、誰かに寄付などおこがましい事だった。まずは自分の近く。言ってみれば当たり前の事だけれど、それが何処か遠くへと繋がっているのだと思う。

どうか一日も早く、彼女が美味しく食事を摂れて、心穏やかに眠れる日が来ることを祈るばかり。
そして彼女の他にももう一人、突然見舞われた大変なピンチの中、戦っているあの人のためにも、今は何も出来ずにいるけれど祈る。



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by sakamotochiaki | 2009-12-01 18:38 | ◎こんな日々 | Comments(0)