いったい何が言いたいのか自分でもわからなくてしょーもない。

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昨日のマイケル特番、不安を抱えつつも、わざわざ夕飯の食卓をテレビの前のちゃぶ台に移して、「こういうものはオンタイムで見なければ」と、わざわざ仕事先から急いで帰って来たお疲れ家人と共に、トータル3時間見た訳ですが、もうテレビ局どうこうというよりも、何だか自分が嫌になりました。ほとほと、疲れ果てた。哀れ家人は、途中から船漕いでいた。

最初の1時間、まさかという感じでゴシップ一色の内容を放送し、一旦、マイケル像をこれまでのマスコミ報道同様に落としておきつつ、後の2時間で「それは間違いだったのよー」と持ち上げるという「演出」だった様だけれど、最初の1時間で見るのをやめた人はどーすんの、という話。実際、途中でテレビを消した人も多かったはず。まあ、私は見届ける事が必要というか、見届けないと気が済まない人間なので、むしろかつての自分への戒めとして、ともかく最後まで見た。そうなのだ。私に彼らを批判する権利などないのだ。ついこの間まで同じ穴のむじなだったのだから。例えばそこで、即座に感情的な苦情メールをテレビ局に送ったり、或いは、もう何も見ないと自己完結して閉じきる事も出来たけれど、結局これまでそうだった様に、マイケルと彼のファンとの関係を、周囲に宗教扱いされて終わってしまう様な気もして、だからとにかく、脱力して前傾姿勢になりながらも、全ては見てからだと思った。

後々になって、この番組中大半を占めた再現ドラマ部分は、海外で制作された「THE UNTOLD STORY OF NEVERLAND」というDVDをそのまま使用(吹き替えとナレーション、インタビューは後から付け足していたらしい)していたという事を知って、余計に口アングリとなてしまったのだけれど、番組の作り(いや作ってもいなかったのか)はさておき(さておくしか無いのでそうするのだが)、ゴールデン枠で、かつての裁判について長々と取りあげ、「無実」だったという事と、マスコミ自身が「マスコミで流れる映像は編集次第で、描いた筋書き通りに演出を加え、印象をガラリと変える事が出来るのだ」という事実を放送したというのは、ある意味画期的だったと思う。
実際、あの番組をマイケルに関して全く知らない状態で見た人は「そうだったんだ」「無実だったんだ」と思われた方も少なくはないだろう。だから、完全な無駄ではなかったと思う。というか思いたい。

けれど、やはりあれだけの壮絶な裁判を2時間でまとめるのは到底無理な話だ。陪審員制度の難儀さや、人種差別の恐ろしさまでは触れる事もなく、ラジオならば何て事ない事でも、テレビではあれが限界か。たとえ完全に潔白だったとしても、陪審員全員が白人であった(再現ドラマではちょっと白人ぽくない女性も見えた気がするけれど)という事が、どれだけ絶体絶命な状況であったか、いったいどれだけの人に伝わっただろう。

とはいえ結局のところ、こうして今私が書いている事は、もちろん私の個人的な勝手な見解で、それは、このたかだか2ヶ月の間に見聞きした様々な媒体から至っているものだし、そもそもそれらだって、本当に正しいものかどうかなどわからない。真実と1ミリの誤差もなく何かが伝わるという事は、受け手にゆだねられる段階で殆どあり得ないのだから。真実はマイケル本人にしかわからない。
そして誤解を承知で書くならば、私がこの2ヶ月、こんな風にマイケルにハマり込んでいるキッカケは、ココにも再三書いてきた様に映画『THIS IS IT』であり、そこで観た彼の歌、パフォーマンスだった訳だけれど、本当のところ、たぶん私は彼の音楽性というよりも、その「圧倒的な存在感」に心を奪われたのだと思っている。「圧倒的な才能」でもいい。とにかく、あの殆ど狂気(人レベルを超えているという意味で)の様な存在自体に度肝を抜かれてしまった。だから彼の楽曲もいまだに全てフォロー出来ていないし、自分好みの曲ばかりを繰り返し聴いている。であるにも関わらず、その才能がいかに大きなものであったかは嫌でもわかる。
そして、それほどの才能を持った人が、一番脂がのり、円熟味を増していったであろう貴重な時間を、マスコミが、というよりは私を含めた世界が殺した。外国のゴシップなど、日本のソレとはスケールが比較にならない絵空事の様で、自分とは全く関係もないし、むしろ面白可笑しく視界の隅っこにとらえていた程度であったけれど、しかしそれは無意識に誰かに荷担し、そして別の誰かを殺していたに等しいという事が、一番堪えたのだった。そこに何か、思想や宗教や怨恨があるならまだいい。知らないうちに、何となく、私は偉大な才能を葬り去ろうとしてきたのだ。マイケルに限らず、他にも数え切れない程、そういう事を繰り返しているのだろう。だから、昨日の番組にはガッカリもしたけれど、ただただ批判するという気にも正直なれなかった。その権利はやはり私にはないと思った。

だから本当に今さら遅すぎるよという話だが、なるべく今読めるモノは読み、見られるものは見ようとしているのだけれど、でもそれはあくまで自分のためであって、それを誰かに強要しようとか、アンタそりゃ良くないよとか、言うつもりは無い。それは私のやるべき事じゃない。結局、全ては受け手それぞれにゆだねられてしまうのだから。受け取ったものをそのまま受け取るも、選別するも、そもそも受け取らないのも、それぞれなのだ。そこからさらに何かを得ようという行為は根性も体力も要る事で、それを全ての人に期待するのはちょっと違う様に思う。情報は絶えず垂れ流れる。昨日の番組もそう。もはやテレビ局に淡い期待をしたり、けしからんと怒る前に、それを受け取る自分の感覚を磨かなければならんのだな。冷静な感覚を。と、改めて思った。ちょっと期待もしてしまっていただけに。

まあでも、もの凄ーーーーーーーーーくポジティブに考えれば、昨日の番組は、例えばちょっと映画を観たくらいで、周りを100m程引かせる様なハマり方をして、空いた時間全てを、文献を読み漁ったり、動画を見漁ったりに費やしてしまうような私の様な人では無くて、そんな時間のない人や、元々興味も無い人にとっては、しごく単純に「あらまし」を説明したものにはなっているのかもしれないとも思う。そこから先はその人に委ねられる事。元々、そういうものだよな。あらゆる表現がそうかもしれない。世に出て、受け取る人がいて、その受け取り方はその人次第なのだな。
結局、ただ「マイケルは凄い」で済む話なのだ。本当は。それだけで動かされているのだからこの私も。それだけで十分なのに、ああ私また長々と。
本当に申し訳ない。何に対して、誰に対して謝っているのか自分でもわからない。そんな自分がほとほと嫌になる。


えーと、本当は他にも書く事があったのです。一昨日CONTEXT-Sで半日お店番をしていた際、私のこのへっぽこブログを見て、本当にご来店下さったお客様がいらっしゃいまして、自分で宣伝しておきながらまことにビックリ&恐縮でございました。ありがとうございました。私がわかりづらい書き方をして、翌日ご来店頂いてしまったMさんにも、本当にありがとうございました。またお会い出来る日を楽しみにしております。

今日は不慣れな六本木でセコネタ取材後、友人のガラス作家・梅田香奈さんが参加されている展覧会『ジュエリー×ジュエリー』@東中野コスミへ。深田恵里さん(革・銀粘土作家さん)とのコラボピアスをゲットしました。ふふふ。かわええ。しかし、写真が上手く撮れない!ぜひ実物を観に行ってみて下さい。展覧会は23日までです。
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今日の楳。午前中、ちょっと日向ぼっこ出来たの図。
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それと六本木のこんな風景も。
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by sakamotochiaki | 2009-12-17 19:51 | ◎こんな日々 | Comments(0)