親愛なるザカリー

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ようやく正月中の「常にお腹の皮がパツンパツン」という状況から脱出。

今日は午前中、「一応仕事なんだけれど、実を結ぶかは謎」って事を延々やって、午後は毎月恒例の楳のノミ駆除のためI動物病院へ。
自分用キャリーバッグを見るなり、瞬時に姿をくらます楳であった。すぐに布団の下から発掘したけれど、あんなに抵抗されたのは初めて。さすがに帰省復路の長旅からまだ日が浅かったので、ビビりまくった模様。仕方ないので洗濯ネットを出動(網状のものに入れると猫は大人しくなっちゃうのだ)。その後、難なくのみ駆除投薬。帰宅すると、工房くらげの直ちゃんに頼んでいた録画DVDがポストに届いていた。うっきゃああああああ。思わず声を上げる。

MXテレビ「未公開映画を観るテレビ」で前編だけ見ていた「DEAR ZACHARY」であった。しかも直ちゃんの素晴らしき機転により前後編全て納められたDVD。
だーもー直ちゃんかたじけない!!水道橋博士のツイートを読み、後編が気になって気になって仕方がなかったここ数日だったので、飛び上がらんばかりに喜び、何はさておき再生ボタンを押した。既に観ていた前編からじっくり鑑賞。そして、案の定泣きじゃくり。

この作品は、当初ごくごく個人的な思いの元に制作された映画であった。それが撮影を進めていくうちに、複雑で難儀な要因が絡み、大きな問題を提起する事となり、制作者の意図をはるかに飛び越え、最終的には一般公開に繋がった。
けれど、私が涙を流したのは、もっとシンプルな部分にあるように思う。この世界に暮らすありとあらゆる人々には、有名無名、階級、家柄、人種、職業、年齢、性別、とにかくどんな区分に限らず、その人それぞれに、それがどんなに一見つまらなそうな人ですら、生きてきた分の歴史があり、家族があり、営む生活があるという事。それに関わった人々が居るという事。そして、その誰もに生きる権利があり、その権利をある日突然誰かに奪われて良いという法は無い、という当たり前の事。それは皆に与えられた権利であるはずなのに、ちょっとした感情のこじれや、病んだ心や、或いは「はずみ」で、無情にも奪われてしまう現実を前に「ああああ」と脱力してしまった。
これは新井英樹の『THE WORLD IS MINE』でも感じた事だった。主人公二人による大量殺戮日本縦断に魅せられる(というか呆気にとられたまま目をそらせなくなるが正解)一方で、殺されて良い命は無い、どんな人にも物語があるのだというしごく当たり前の事を痛切に感じた。
初めて海外旅行に行った時に、実態として悟った「自分とは何ら関係のない人々の、それぞれの暮らしや人生」の事も思い出した。つまり、この映画に出てくるのは、私と何ら変わりない普通の人達で、その人生が狂わされていく様子は、全く他人事には思えなかったのだ。

以前「ボーリング フォー コロンバイン」を観た時は、カナダの治安の良さに、ひたすら感心したものだったけれど、この映画では、治安の良さ故、犯罪の凶悪化に見事に遅れをとった法体制に幻滅させられてしまう。それはつまり、法改定せざるを得ない現在の治安の悪化への幻滅でもある。こうやって、法にがんじがらめにされなければ、人がごく普通に生きて行かれなくなるのだという事への憂い。

そして、沢山の人に愛されこの世に生まれながら、母親の道具として扱われたZACHARYの人生を思うと、ただただ泣けた。殺されて良い命は無い、どんな人にも物語がある、だがしかし、という現実を見せつけられる。
人間は愛に溢れる一方で、愚かで残酷だ。それを思い知らされる作品であった。ぜひ日本でも劇場公開して欲しい。

町山さんのサイトで「DEAR ZACHARY」予告編観られます。(字幕ないですが)
さらにTBSラジオのコラム中の町山さんの解説はコチラで聴けます。


さて、年明け仕事も一段落したので、明日こそ版作りを再開しようと思う。秋からずっとサボってんですよ。ヒドイよなあ。




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by sakamotochiaki | 2010-01-07 23:46 | ◎こんな日々 | Comments(0)