ねこというもの

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昨晩遅くに悲しい出来事を知った。
友達の家で愛された猫が不慮の事故で亡くなった。
その猫には私も会った事があるから、ひどくショックだった。
その家で長い時間をかけてずっと愛されてきたことは、
時々日記に綴られる出来事や写真で、十分すぎるほどにわかっていたし。

生き物というのは、かつて実家で飼っていた犬もそうだった様に、
老衰や病気で亡くなるものだと、漠然と思ってしまっていた。
徐々にその日を迎えるものだと。
その間に少しずつ飼い主は覚悟を決めていくのだと。
でもそんな甘いものではないのだ。
その事実を無情にも目の前に提示された思いだった。

ご一家が今どんなに心を痛めているか、計り知れない。
同じように愛されてきたもう1匹の猫の様子も日記に書かれていたけれど、
もう、読むのも辛い。
友達にメールをしようかとも思ったけれど、
全く、何と書いていいかわからなかった。
で、こんなものを書いている。
ごめんなさい。

昨夜は茫然と布団に入った。
そうこうしているうちに私の後を追って布団に潜り込んできた楳の体温を、
自分のお尻に感じながら、泣けて泣けてなかなか寝付けなかった。
(今、これを書きながらも泣いている。泣けばいいってもんじゃないのだが)

友達の言葉
「また会えると言うこと。
 生きてるってすごいこと」
が沁みた。
人間よりも寿命の短い生き物は、それを教えてくれているんだ。
肝に銘じなければいけない。
私の様に思いがけず猫と一緒に暮らすようになった者は、
何の心構えも出来ていないのだ。

猫というものは。
そんな私ですら猫について思うことは、その出逢いも含めて、
何かしら運命みたいなものを背負っているのじゃないだろうか、
という事だった。
わかりづらいけれど、猫の目を通しして感じる既視感というのがある。
出来事は起こるべくして起こるような。
猫はそれを全てを知っているような。
その別れすらも。

不思議なことに、これまで私の近しい人達が飼っていた猫たちは、
皆、必ず何かとバトンタッチしていく。
まるで猫自身が全てを察知しているかの様に。
それがルールでもあるかの様に。
ちゃんと新しい者に沢山託していく。

亡くなった事は本当に辛く悲しいけれど、
最後の最後まで沢山愛された猫は、やっぱり幸せだったろうと思う。
それは日記を見てきた人達皆(私も含め)が証人だから。
そしてそこかしこに沢山託してくれているのだろうと思う。

どうか安らかに。

大事な事を教えてくれたご一家にもありがとう。
1日も早くという必要はないのかもしれないけれど、
皆さんの心の痛みが癒されるといい。
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by sakamotochiaki | 2010-01-18 12:00 | ◎楳猫 | Comments(0)