悲しみ知らん顔

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お通夜や葬式というのは、亡くなった人のためのものかと思っていたけれど逆だった。残された人達がその死をどうにかこうにか納得したり、受け入れたり、また明日から生きて行くための心構えをするためのものだったんだな。と、今さらわかった気がする。

一昨日の古い友人の告別式、その前日のお通夜も合わせて、学生時代の懐かしい顔に沢山会った。亡くなった友人が呼び寄せたとしか思えない様な、長年連絡がつかなかった同級生との再会というミラクルも起こり、さながら友人主催の同窓会の様だった。人と人を繋げる事が好きだった彼女らしく、最後まで人の輪の中心にいる、とても良いお式だった。
悲しみは深い。これからもことあるごとに襲って来る悲しみだろうと思う。一月末からこっち、許容しようにも出来ずにいた気持ちも丸ごとしっかり受け入れ(たつもり)、彼女を見送った。

お通夜で散々泣いて、もう涙も出ないだろうと思っていたが、やはり最後は馬鹿みたいにしゃくり上げて泣いてしまい、自分でも驚いた。が、泣きながら退場しようとして、下駄箱に預けてあった自分の靴が見つけられず(何せ皆似た様な黒い靴)オロオロして、悲しいやら自分が情けないやらで、また泣けた。ああ、全く私というやつは、どうしてこんな大事な場面でいつもこうなのか。もうそういう性だと諦めるしかないのか。
最後の最後までこんなしょーもない私ですまなかったよ。でもきっと呆れながらも、彼女は笑ってくれていたと思う。

教会葬というのは初めてだったけれど、神父さんの言葉や賛美歌の歌詞(これまで全くチンプンカンプンだった。面目ない。)が、やけに心に響いた。これまでやろうと思いながらなかなか出来ずにいた事を、今年は絶対にやる、という気持ちになった。そういえば、これは生前の彼女と話していた事でもあったんだよな。「ほら言った通りでしょ」と言われそうなのが癪だけど、頑張るよ。


山崎さんの歌が優しくて救われる。


有難い事に、このところお仕事も忙しくて、泣いてばかりもいられないてんでオラオラー!と働いている。
楳は何だか聞き分けが良くて優しい(気がする)。いや、相変わらず噛み付くけれども。仕事中、ちょくちょく仕事椅子を奪われて作業中断するけれども。でもこういう時の猫の存在ってのも、有難いもんだなと思う。
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by sakamotochiaki | 2011-02-04 02:03 | ◎こんな日々 | Comments(0)