愛しき桜の時

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今年はご近所さんたち数人と集まって、阿佐ヶ谷住宅で花見。すぐそばの善福寺川沿いとは打って変わって、おだやかで、のどかな時間だった。脳裏につきまとう色々から少しだけ離れられたのは、もしかしたら地震以来初めてだったかも。
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それぞれ持ち寄ったものと、オトノハさんのテイクアウト料理でとても華やかなメニューに。このパエージャ、なんと先日閉店した高円寺のラス・メニーナスの忘れ形見の鍋でアサガヤデンショの小嶋氏が作ってきてくれたもの。とても美味しかった。ジョンさんにも伝えたい。
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某所で有名人(猫)のこの方にも久々に会えた。
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来年もこの桜が見られるかどうかは、かなり厳しいと言えるらしい。再開発はもう決まってしまった事だけれど、本当に悲しい。



高円寺では大規模なデモもあり、同日には都知事選、ずっと心がヒリついたまま、地震から一ヶ月という時間が過ぎた。こんな一ヶ月は、生まれて初めてだった。投票用紙の記入にここまで緊張したのも初めてだったと思う。ほんの少しでも何かが変わるんではという期待をしていなかったと言えばそれは噓になる。だから「ばーかばーか」と両頬を殴られた様な気持ちであったし、何に対してだか、おそらくは都民以外の全ての人達に対して、その自分のおごりやら浅はかさを悔いる気持ちだった。「がっかりだよ」という言葉を、あんなに浴びせられた(実際にではなく、ネット上で)事も人生で初めての事で、正直選挙云々を抜きにして、とても悔しかったが、「絶望した」という言葉を目にした時は、初めて都民である事を恥じた。

自分には色んな欠けているものがある。政治の事も原発の事も被災地の事もあまりよく知らない。今まで積極的に知ろうとしてこなかったのだし当たり前だ。こんな風に、一気になだれ込んできた「知らなければ済まされない事」にアップアップの状態。信頼のおける情報と言われたものも、次の瞬間叩かれたりしている。信頼のおけると思っていた人(例えば友人ですら)の情報も、全く鵜吞みには出来ない。曖昧な言葉で何か発言をすると誰かの怒りやひんしゅくを買ったり、傷つけたりもするし、またその逆もある。かといってハッキリ言ったとて同じ。そんなのネットの中だけの話じゃなくて、実社会もそうなのだけれど、正直、元々議論慣れしていない(というよりむしろ苦手で嫌い)私はそれだけで疲弊してしまう。今までは良き友人だった人達と、今後普通に会えるんだろうか、とすら考える事もある。それはその人その人で、抱える背景が違い過ぎるから。誤解を恐れず言うならば、本当に本当に部分では、絶対にわかりあえないんだという事が、今回の地震で決定的にわかってしまった。別にこれまでだって「みんなで1つになれる!」だなんて今やたらと流れるCMみたいな事を安易に思った事などなかったけれど、今ほどそれを実感した事はない。同じ方向を向いているはずなのに、実際はそうじゃないんだという事を。
同時に被災地でもない東京に居て、こんな殺伐とした気持ちを抱いてしまうというのに、被災地の方々の心はいったいどれだけ...と考える。結局自分はこの期に及んでぬるすぎる現実にいる。レベル7と言われても、何をどうしていいやらわからない。馬鹿の一つ覚えの様に募金して、物資を送って、福島や茨城の品々を買う事くらいしか出来ない。何の罪滅ぼしか、という感じだ。しかも一向に目減りして行く事など無い罪悪感だ。

そんな自分に、ふてくされない、ふてくされないぞと言い聞かせる毎日だ。ふてくされたい人はもっと他に沢山いるのだから。すみません、すみませんと思ってしまうのも、ふてくされの延長かもしれない。もうやめよう。つーかやめたいんだよホントにもう。「きれいごと」言ってる自分にも慣れないんだよもう。そうこうしているうちに、自分の生活もままならないのではダメなんだよもう。

と、こういう日記書くのも本当にもう。
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by sakamotochiaki | 2011-04-13 00:20 | ◎こんな日々 | Comments(0)