楳の記録(1)

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早いもので楳が亡くなって初七日を迎えました。
写真は亡くなった日の昼間、日向で喉を撫でられて少し気持ち良さそうな楳です。

この半年弱、楳の様子や思った事をブログとは別に記録し続けました。
改めて今読み返すと辛いし、我ながらとても感傷的な文章で、自分勝手で何だかなあと思ったりもしますが、少し補足したり削ったりして(とはいえ恐ろしく長いですが)まとめてみました。どうしたいという事ではなく、これも殆ど私自身のリハビリの様な作業ですが、せっかくなのでここに残そうと思います。


楳の経緯
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2009/1/28 自宅マンション一階の郵便受けの下で、ひどい猫風邪を引きやせ細り動けなくなっているのを保護される。推定1歳(2〜3歳説もあったが、若い方を採用)。
2010/春頃 下腹部にごくごく小さいしこりの様なものを見つける。
2010/7 当時かかっていた病院にしこりの事を申告し摘出手術を予定する(まだ良性か悪性かの判断出来ず)も、当日になり腎臓の数値が悪いと延期。先に腎臓の投薬治療が始まる。
2010/10 病院不信に陥り転院。検査後、即悪性の乳腺腫瘍と診断され、2日後乳腺腫瘍摘出手術。無事全ての腫瘍組織の摘出成功。その後免疫療法を続ける。
2011/10 1年後検診で異常なしという診断を受ける
2011/11 右胸に小さなしこりを見つける。検査後、再発との診断。一番副作用が少ないという抗がん剤治療を始める。
2011/12末 腫瘍には効果があるようだったが、楳の食欲が減退し、体重が激減したため抗がん剤治療を中止する。以降、サプリメントや酵素など免疫療法のみで経過観察。 
2012/1/9 合併症の肺水腫により推定4歳11ヶ月で逝去。
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2012/6/22 
夜、家人と外食して帰宅すると楳が突然嘔吐を繰り返した。途中からは吐くものが無くなり、ウプウプと苦しそうなので、杉並区の持ち回りで夜間診療をしていた荻窪の病院へ初めてタクシーで駆け込む。ここ最近、食べている割には便が少なめだった事を伝え、便秘かもしれないという診断。便を掻き出すという処置をしてもらい少し症状は落ち着いた。胃薬を貰い、もしまた悪くなる様ならかかりつけ医に行く様にと言われる。キャリーバッグを背負って、なかなかタクシーを拾えず深夜人気のない青梅街道で安堵と不安とが入り交じりながらトボトボ歩いた。今後こういう機会が増えるかもしれない。今日はその予行練習なんだと思った。

6/30 
南中野地域猫の会で出逢った煤墨(2ヶ月歳)が我が家にやって来た。まだ体調が今ひとつのせいもあり、最初はボーッと煤墨を見ていた楳だったが、しばらくして我に返ってケージの2匹に向かってシャーフーをかます。

7/14 
楳3ヶ月ごとの乳腺腫瘍の経過検診。予め言われていた夕方のお迎えの時間になっても病院からの連絡が入らず嫌な予感がした。結果は腫瘍は小康状態との事だったが、肺に水が溜まり始めていて余命3ヶ月と言われた。腫瘍がどうこうというより、いずれ呼吸が苦しくなって亡くなるだろうと。今回は余命について訊ねようと思っていたものの、いざ3ヶ月という数字を目の当たりにしてしまったら泣いた。家に帰ってからも一晩中泣いて、翌日は信じられない程瞼が腫れた。

7/22 
「癌に効く」という文句につられてネット購入したミネラル粉末を与え始める。自分でもあまりにも冷静さを欠いていると思う。でも買ってしまった。

7/26 
深夜に右脇のしこりを舐め壊していた。真ん中のしこりがとても大きくなっていてギョッとする。3センチはある。一昨年手術で楳の皮膚の一部と乳腺2つと共に切除されたしこりはまだ1センチにも満たないものだった。あいつが1年以上経ってこんなに悪さをするとは。悔しい。

7/30
煤墨がやって来て1ヶ月。まだ楳とは隔離生活。楳は食欲もあり快腸だけれど、運動をしないので太り気味。煤墨へは相変わらずシャーフー。

8/2
与えていたミネラル、「キエ!」という奇声をあげて吐き出したので、もうあげるのを止める。楳が嫌がる事ばかりしている。ひたすら楳に謝った。

8/4
晩飯後、楳がいる2階に煤墨襲撃。すぐ目の前で煤墨がドタバタ駆け回るのを楳と一緒にジッと見ていた。墨が近寄って来たら、楳を撫でてから墨を撫でて、煤にも同じ様にしていたら、この状況で初めて楳がゴロンと横になった。そのまま煤墨達を見ていて、耳も後ろに下がらず。煤墨があまりに近寄ってきたらシャーしてたけれど。ほんの少しだけ進歩があったかも。家人不在のせいか楳が久々に甘えてきて、一緒にソファで昼寝もした。嬉しい日。

8/5
昼間2階に行ったら保護服を脱いでしまっていた。油断した。しこりを舐め壊し、過去最高に出血してしまったので薬を塗って保護服も着替えさせる。出血で保護服の汚れを防ぐために「おりものシート」を腫瘍にあたる部分に2枚貼付けてみる。血の染みがなかなか落ちないので毎回手洗いするのだけれど、その度いつまでも血の匂いが手からなかなか取れない。

8/21 
数ヶ月前、「猫イラストコンテスト」のチラシを家人が見つけて、ちょうど刷っていた楳版画が規定のハガキサイズでもあったので何となく応募していたのだが、今日大賞を獲ったという電話がきた。驚いた。何と賞金も出る。ひょっとしたら楳はこういう形で少しずつこれまで自分にかかった手術代やら治療費やらを律儀に返そうとしているのかしら、とか思った。私は楳に与えて貰ってばかりで、もう十分なのに。

9/9 
低空飛行ながら安定。食欲もあり、ビオフェルミン効果か便秘も全く無い。呼吸も苦しそうな気配はない。けれど一日中寝てばかり。保護服を脱がれる事なく1週間経過したら、しこりが見事なカサブタになっていた。痒いだろうなあ。

9/14 
余命3ヶ月宣告された2ヶ月目。朝、何となく楳が元気が無い様に感じてしまい、バイト中もずっと不安だった。駅から走って帰宅して2階のドアを開けたらいつもの様にすぐ前まで来てゴハンを待っていた。食欲があるという事、排尿、排便、毛繕いが出来ているという事が、まだ別れの時ではないのだという頼りないながらもすがりつくしかない私の指針となっている。

9/18 
ずっと制作するのを迷いに迷っていたカレンダーを楳と煤墨を登場させたものにしようと決めたはいいけれど、遅々として進まず。特に表紙に悩んでいたが、ふと思い立って保護当時のまだ小さい楳の版を作る事にした。鼻の頭の毛が抜けてしまって、小さい傷やカサブタだらけで細っこかった楳。一番最初の刷りで紙をめくった瞬間、あまりに楳そっくりで笑って、次の瞬間泣いた。記念に何枚か刷っておこうと思ったけれど、辛くなって4枚でやめた。もしかしたらもう楳を刷るという気持ちにはならないかもしれないと思えた。最初軽い気持ちで始めた楳版作りは凄く楽しかったけれど、こんな風にとても辛い。でも納得のいく表紙を刷り終えて少しホッとした。

9/19 
朝、楳が保護服を脱いでしこりを舐め壊した。脱げやすい金太郎スタイルの保護服に問題があるのはわかっているのだが、後もう少しで涼しくなったらTシャツスタイルに戻せる。表面上に目に見えるしこりは3センチ。すぐ横の毛の下にももう少し大きなものがある。呼吸は正常なところを見ると、肺に溜まった水というのはもしかしたら大分快方に向かっているのではと期待するが、やはり元凶がどんどん猛威を振るっているのがわかる。表面上に見えない人間と違って、猫の癌は目に見える形で生々しく現れ「病気というのは、きれいごとではないのだぜ。」と言われている様だ。

9/22 
賞金が届く。我が家にしてみたら大金だ。楳が「これだけあれば葬式代にはなるでしょ」とでも言っているみたいだねと家人に話した。

9/24 
昨夜は位置はバラバラながら3匹とも布団の上で寝た。このところ一番平和な夜だった。楳は呼吸は特に変化は見られない。その分どんどんしこりは大きくなり、フワフワとした美しい楳の白い毛が侵食されて行くのを止められない。3ヶ月前、医師はそのうち肺に水が溜まっていって、最終的には呼吸が苦しくなり亡くなるだろうと話していた。水を抜き取るという処置もあるが危険も伴うと。ペット用高酸素室(人間で言うICU)のレンタル(馬鹿でかくてモーター音が凄まじそうな大がかりな機械)もあるとパンフもくれたが現状使おうという気持ちは無い。呼吸が苦しくて亡くなるのと、腫瘍に苦しんで亡くなるのとではどっちが楽なんだろうと考える。

9/25
目を離した隙に保護服を脱いでしまい久々の大出血。コットンで拭き取り薬を塗ってから、雨ですっかり肌寒くなったのでTシャツスタイルの保護服に戻した。もしかしたら夏を乗り越えられずに、もう着る事は無いかもしれないと思っていたTシャツ姿の楳を見られて、窮屈そうではあるけれど嬉しい。でも春先よりもしこりが大きくなっているので、袖ぐりの余裕が無さそうだ。早く改良版を作らねば。

9/26 
ここ最近、twitterのフォロワーさんらの愛猫たちが立て続けに亡くなる。他人事に思えず一緒に悲しい。夕方ブラッシングしながら楳に「絶対に私が居ない時に一人で逝かないでね」とお願いする。
午前中と夕方、階段に楳を連れていって窓の外の風景を見せて上げた。煤墨らが家にやって来るまでは、1階の縁側の窓から通りの景色を飽きるまで眺めたり、そのまま眠ってしまったりしていた楳だったのに、1階はすっかり煤墨に占領されてしまった。煤墨に視界を邪魔されながらもそれでもやっぱり外を見るのが好きな楳はその場を離れようとはしない。食い入る様に通り過ぎる人や車を見て、空気の匂いを嗅いでいる。窮屈な服を着せられてはいるけれどその表情は以前の楳と何ら変わらない。

9/27 
母からメール。定期検診で引っ掛かり再検査になったと。少し前には異常なしという診断だったのに再発したかもと。昨年末に子宮全摘出し、年明けから半年の抗がん剤治療を経て、ようやく副作用から解放されそうという矢先。担当医からも再発はまずないとまで言われていたのだしきっと大丈夫と話すも、心の何処かで私自身が疑っている。楳を毎日見て私は知っているから。癌がどんなに恐ろしい勢いで命を蝕む病であるかを。一瞬、また長期帰省をする事になるかもと想像したら吐きそうになった。その間に楳にもしもの事があったら、私は看取ってあげられないかもしれない。親と天秤にかけるなんてと思うけれど、そんなの悔やみきれない。またデジャヴだ。楳も術後の一年後健診で異常なしと言われその一週間後に再発した。楳で経験した事がそのまま母で繰り返される。神様、こういう意地悪い演出はもう沢山です。

10/3 
悩んでいたが6日から3泊4日で津軽の法事に行く事にした。楳の状態しだいで直前に決めようと思っていたけれど、今すぐどうこうという事は無いだろうと判断した。母も病をおして親戚らの接待は大変だろうし。法事後予定している母の再検査の結果いかんいよっては、たった3日程度の帰省では済まないだろう。また何往復もする事になるかもしれない。そう考えると本当に恐ろしい。楳を最期まで看てあげられないかもしれない。楳をブラッシングしながら申し訳なくて泣けてくる。余命を訊かされてから泣かない日はないのが、このメソメソは母のメソメソと似ていて本当に嫌になる。母のメソメソメールや電話には明るく励まして、楳にはメソメソしている。嫌になる。

10/6 
今日から3泊4日の帰省。昨晩、腫瘍部分に当てているシートの交換をした際、少し化膿していて、消毒し塗り薬を塗った。このまま3日間放置したら大変なので家人に毎日の消毒を託すが、家人はこの手の作業をした事がないし、楳の腫瘍をここしばらく見ていないからキツイだろう。正直帰省しないで化膿が治癒するまで楳の近くで世話をしたいが、母も心配なので仕方ない。

10/9
クタクタで帰京。家人が消毒作業をしてくれていたお陰で楳の傷口はきれいなカサブタになっていて安心した。場合によっては帰京後すぐに病院コースも考えていたので。ただ少しだけ楳の食欲が落ちているのが気になる。

10/11
楳の食が細い。バイトから帰宅して2階で一緒に食べようと声をかけたら少しだけカリカリを食べ始めた。やっぱり淋しいんだと思う。これからは出来るだけ家人とも2階で一緒にご飯をたべてあげよう。

10/14 
余命宣告の期日。頑張ってる。私のカレンダー作業が立て込んできたので、2階で煤墨のお守りをしてもらう事も増えた。ストレスには違いないけれど、「なにくそー」と少しは生きる張り合いになってくれているのではないだろうかと自分勝手な期待。

10/16
楳カレンダー2013年版が完成して初めての通販スタート。色んな方々の手に届いて、来年一年を共に過ごして頂けるのは本当に嬉しい事で、増刷したのも少しでも沢山の方の元に飛んで行って欲しいと思ったからだけれど、今後楳が亡くなった時、それ以降もカレンダーと一緒に過ごして下さるかどうかはわからない。私の自分勝手な思いにより、嫌な気持ちにさせてしまうかもしれない。そこが不安だし、まだ迷いが晴れないところ。

10/18
母の再検査の結果が出た。再発という事ではないらしいが腫瘍マーカー値が高く医師も慎重に言葉を選んでいた様だ。相変わらず不穏な日々は続く。はっきりしない日々は本当に辛い。夜、楳をブラッシングしていたら、楳が腫瘍付近を舐めようとしたので慌てて阻止して保護服を着せると、怒って手をガブガブと噛まれた。凄く痛くて悲しくなってワンワン泣いた。毛繕いくらい存分にさせてあげたいのに出来ないのが辛い。

10/26 
通販と思いがけずやらせて頂く事になったカレンダー原画展の準備でバタバタしている。久しぶりに楳のしこりをじっくりチェックしたら、一番大きなものは相変わらず直径は3~4センチだけれど、どんどん体の外に出っ張ってきて服の上からでもわかる。簡単には保護服が脱げなくなり見事な分厚いカサブタになっているが、そこに繋がる様にして皮下にボコボコと沢山ある。少し離れた左胸にも1センチ程のしこり。リンパを伝ってどんどん広がっている。楳は凄く歩き辛そう。ソファに飛び乗るのも「えい!」という感じ。見聞きする「自壊」(大きくなった腫瘍が自ら破裂する症状)という段階になってからが正念場だな。においも凄いらしい。心しておかねばならない。

10/29
原画展搬入前日。楳は煤墨に邪魔されつつ割とゆったり昼寝。
煤墨の行動範囲がますます広がって、押し入れ上部の衣裳ボックスの上までひとっ飛びで上れる様になった。そんな煤墨を下からジッと見ていた楳。元々高い場所には上らない猫だったけれど、羨ましそうな顔をしていて切なくなった。

11/5 
あっという間に原画展が終わった。楳カレンダーも予定部数をはるかに超え、在庫を出し切った楳ポストカードもほぼ完売だった。ネット繋がりで初めてお会いする方や、猫好きの方はもちろんそうでない方も、別の場所でチラシや過去作品をたまたま見かけて来て下さった方も沢山いて有難かった。こんな風に突如開催が決まって準備期間も開催日数も短い催しは初めてだったけれど、やれるだけの事をやって悔い無し。時間をかけて綿密に考えて準備した展覧会よりも、何だか凄く良かった気がする。楳も沢山の場所へ飛んで行った。また来年もカレンダー作ってくださいね、というお言葉には曖昧な返答しか出来なかった。

11/10 
少し前から楳の「うんこ落とし」が頻発する様になった。煤墨のせいで落ち着いてトイレで出来ないだけかと思っていたけれど、もしかしたら腫瘍か肺が原因で最後まで踏ん張りきれないのかも。お尻にブラブラさせたままで砂をかいてトイレを出て行こうとする。楳がトイレに入って砂をザッと踏む音がしたら、私も家人もどこに居ようと、たとえ寝ていようと駆けつけ、小だとホッとし大だとティッシュを構えて備えるという日々。でも自分でトイレに行かれるだけ幸せだ。便秘にもならないし幸せだ。

11/11 
楳カレンダーの通販受付を終了。去年よりも早い売れ行きでビックリ。先日の賞金と原画展とカレンダーの売上を一旦楳貯金にした。考えたくはないけれど、楳が亡くなった時にはそこから葬儀のお金を出して、残りは煤墨の健康診断と、煤墨を頂いた里親会と被災地の動物支援に寄付しよう。賞金も色々あり結果的に後味の悪いものになってしまったし、もうあまり手元に置いておく気がしない。

11/13
元気がなく日がな寝てばかりいる。カリカリも食べうんちもしてるから大丈夫だと思うけれど、食べる量は少なくなっていてお尻がゴツゴツしてきた。そのせいか最近はブラッシングしててもすぐ「やめれ」と言われ、その後服を着せようとすると激しく抵抗され噛み付かれる。一番大きな腫瘍は岩の様なカサブタになっていて歩き辛そう。昨日お会いした方に漢方と鍼の良さそうな病院を勧められたけれど、そのためにはまた一から検査する訳でやはり二の足を踏む。楳がどうしたいか聞けたらいいのになあ。夕方新たに楳のカリカリ(2キロ)が届いた。前に注文した時もこれを食べ切れるのだろうかと思ったけれど、もう注文する事すら願掛け。

11/14 
余名宣告の期日から1ヶ月超えた。人間で考えたらどのくらいになるのかなあ。凄いなあ楳。偉い。最近はあまり早朝起こされる事がなくなった。煤墨に先を越されながら、たまに布団に入って来る楳はやっぱり凄くかわいい。

11/16 
抗がん剤治療開始した日から1年。けれど、副作用で楳が食べ物を口にしなくなったため、結局一ヶ月ほどでやめた。週1回の病院通いは楳には大きなストレスもあっただろうし。以降、酵素と天然由来のサプリ2種の免疫療法のみで病院にも検査以外は一度も行っていない。凄いなあと思う。

11/19 
煤墨は無警戒にしょっちゅう仰向けに寝ていて、お腹を撫でられるのも大好き。一方、楳は仰向けに寝ないしお腹も触らせない猫だが、避妊手術後、余計に触られるのを嫌いになった様に思う。それは元々楳が警戒心の強い子だったにせよ、煤墨を手術をして下さった先生が本当に上手だったという事ではないか。今考えると楳の避妊手術はひどいものだった。私も動物の避妊手術が初体験だったせいで当時はわからなかったけれど、今考えるとあまりにも前時代的な処置にゾッとする。仕方ないとはわかっていても、楳が煤墨の様にもっとお腹を触らせてくれる子だったら、小さな異変にも早く気付けたのではないかと考えてしまう。煤墨にはなるべくずっとキレイな体のままでいて欲しいと思ったら泣いてしまい腹毛で拭った。

11/24 
夕方帰宅して楳を抱っこしたら、たまたま指が触れた下腹部に不思議な感触があり、よくよく触ってみたら水がたまっているようなフワフワとしたふくらみを見つける。3~4日前にはなかった様に思う。ここ2日、食欲もやや落ち気味で寝てばかりではあったけれど、寒さのせいかなあと思っていた。夜には水を飲んでかつお節をムシャムシャ食べ、着替えさせようとしたら顎を力強く噛まれたので焦って救急に駆け込むというのは見送った。

11/25 
朝一番で病院へ。これまで通り自転車で行こうか迷ったが、もし腹水だとしたら楳が辛いかもしれないので、今後緊急で行く場合の練習も兼ねてタクシーにした。とはいえ、所持金が少ないという間抜けぶり(楳緊急時の現金をちゃんと置いておこう)。受付は2番手だったけれど、「救命措置中」の動物がいたため結局1時間半待った。待合室でその家族と思われる若い男性が暗い面持ちで携帯画面を見ていて、そのうち奥さんらしき女性が青い顔をして病院に駆け込んできて、2人で手術室のある2階へ上がって行った。楳が入っているキャリーバッグの重みと温度を膝で感じた。
ようやく診察室に呼ばれ、女医さん(まさに楳に余命宣告をした人)が涙目だったのを気にしながら、下腹部のふくらみと腫瘍の現状をお見せした。結果下腹部のふくらみは腹水ではなく腫瘍の一種という診断だった。「では、特に今水を抜くとか、何か出来る事は無いんですね」と訊ねると、そうだと言われ、今後もし食べ物を受け付けなくなった時は、自宅で出来る点滴などを教えてくれるという事だった。私も緊急入院だとか、新しい薬だとか提案されなかった事を心の何処かでホッとしていた。楳の何倍も大きな腫瘍を抱えた他の猫が、抗がん剤治療を始めるという話も聞いた。そこまでして...と楳の辛そうだった時期を思い出すと飼い主のエゴをどうしても感じてしまうけれど、でもどうかその子には薬が合います様に、ゴハンが食べられます様にと思う。
最後に気になって救命措置の事を訊ねたら、残念ながら安楽死を、との事だった。あの独特の重々しさをまとった若いご夫婦、あれはそう遠く無い未来の私の姿だ。安楽死かどうかはわからないけれど、その時が来たらそれぞれ何らかの不調を抱えて待合室にいるであろう動物やその飼い主ですら、全員羨ましく恨めしく思えるかもしれない。それとももうそんなものは目にも入らないだろうか。
帰りもタクシーで最寄り駅まで行き、川沿いの日向の道を家まで歩いた。キャリーバッグのメッシュの小窓に顔を押し付けて楳は景色を見ていた。煤墨が来てから楳の大好きな外の景色や空気を嗅ぐという行為を、結果的に奪ってしまった事を悔いている。それでも楳と2人っきりで歩くというのも久しぶりの事で、とても貴重な時間だった。

11/29 
楳の食欲が相変わらず芳しく無い。このまま少しずつ弱って死んでしまうんだろうか。煤墨を迎え入れた事は、楳が居なくなってしまった時、その存在が少なからず私を支えてくれるだろうという考えが無かったといえば嘘になる。けれど、それがなんと浅はかな考えであったか。3匹の猫との暮らしを始めて思い知る。その猫を失った穴は他の猫では決して補えるものではない。その穴はその猫の形をしていて複雑で唯一無二だから、他の猫の形ではどうやっても埋まらないのだ。それはどんな猫においてもそうだろう。亡くなった猫の事は、きっとずっと脳裏にあって、事あるごとに思い出したりするんだろう。共に過ごした年月の長さとは関係なく。
夜、かつお節を1口2口しか口にせず、自力でトイレと水を飲みには行くものの、かなり元気がない。加えて家人も食あたりか何かで寝込んでしまい、1人不安感に襲われる。それでも翌日家人は仕事に行かねばならないらしく、家を無人状態にしておくのが嫌だったので、翌日のバイトを休ませてもらった。楳の横で寝て(本当なら嫌がるタイプなのに動く元気もないみたいだった)、何度か楳のお尻を撫でて保護した時を思い出させる骨々しさに泣く。楳と初めて出逢った瞬間の事ははっきり今でも思い出す。マンションの階段の上と下で目がバチッと合ったあの瞬間から全ては始まった。あれは私と楳だけの誰も割り込めない大事な記憶だ。楳は覚えているだろうか。

11/30 
自分で歩いて水を飲み、トイレにも行くが、楳の食欲は戻らないので、病院へ点滴を打ちに。次は私一人で自宅でやる点滴を受け取りに来るのだろうと思っていたが、タクシー移動ならば楳の負担も少なそうだったのでプロにお願いする事に。帰宅するやトイレでウンコをした。復調したかと思ったが、やはり食欲が劇的に戻る事はない。夏に救急で同じ点滴をしてもらった時はスッと良くなっていたのだけれど。それだけ楳が弱っているという事だろう。無理矢理ペーストゴハンを口に入れるも数口で嫌がって逃げてしまう。私と距離を取る。それを捕まえてまた口に入れる。というのをやっていたら楳が可哀相で泣いた。楳に嫌われたまま別れるのかなあと思ったら、また悲しくて泣いた。
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by sakamotochiaki | 2013-01-15 14:46 | ◎楳猫 | Comments(0)