楳の記録(2)

12/1
楳を家人に任せてバイト。長い1日だった。自分にはちゃんと鳴いて受け答えするらしい楳にあまり切迫した感じのない家人に拍子抜け。私が過剰すぎるのか、これが男女の差なのか。ひとまず悪化はしていない様だが、依然として食は細く、ペーストゴハンを無理矢理食べてもらう。

12/2
どうか楳に日向ぼっこをさせてあげて下さい、という願いが叶って、日中は凄く良く晴れて、楳も日光浴を楽しんでいた。食欲は戻らないが、歩き方や表情は幾分復調して見える。ので、病院へ行って点滴を売ってもらうのは見送った。まだ口から食べられるうちはなるべくそうしてあげたい。
午後からはグッと寒くなって、布団に潜りっぱなしだったが、たまに出て来てかつお節とカリカリを数粒食べて、水を飲んで、トイレに行ったりしていた。しかし量は相変わらず少ないので、ペーストゴハンを食べてもらう。

12/3 
朝起きたらここ数日では一番自発的にゴハンを食べた。お湯でふやかしたカリカリと、普通のカリカリを交互に。量こそ少なかったけれど凄く嬉しかった。けれどそれ以降食欲がうなぎ上りとはいかず、夜はまたシリンジでゴハン。楳が嫌がっているのを口をあけて食べさせるのがツライ。楳に避けられるのがツライ。それでも夜中に私の布団に入って来てくれるのだけが救い。この日初めて3匹一緒に私の布団の中で寝た。たぶんそんなに長い時間ではなかったと思うけれど、3匹が私を境界線にしてバラバラではあったけれど、凄く凄く幸せだった。

12/4 
朝6時頃、枕元で楳に起こされた。「今からトイレに行くからすぐ片付けて」の意思表示。軟便だったがトイレの中で上手にした。目覚めるなりエンジン全開の煤墨を1階にやって楳を布団に入れてあげる。私の折った膝の裏側に収まる楳が本当に本当にかわいい。山岸凉子の亡くなった飼い猫の影が、ある夜布団に入ってきて、まさかと思って触ってみたら尻尾がまさにその子の「カギ尻尾の形」で、思わず名前を呼んで布団をめくったがもう姿は無かった、というエッセイ漫画があったけれど、あれはなんて悲しい話だったんだろうと今ならわかる。そして私ももしも亡くなったとしてもまた楳に布団に入って来て欲しいと思う。

12/7 
明け方地震で起きて、夕方バイト中にも大きな地震。このまますんなり家に帰れないかもしれないと思ったら人前で取り乱してしまった。大急ぎで帰宅して玄関で出迎えた煤墨を撫でて、二階の楳を見るや抱っこした。しばし嫌がらず抱かせてくれていたのでやはり怖かったんだろうと思う。トイレに2日分のうんちがしてあった。今日出なかったら明日病院に下剤を貰いに行くつもりだったので良かった。お腹のスペースが空いたからかほんの少しだけれど自分でカリカリを食べたが、まだまだ少量なので引き続き強制給餌。ペーストゴハンに教えて頂いたヤギミルクの粉末を混ぜたものを朝晩、さらにチューブタイプの栄養剤(口の中に塗って吐き出せないもの)もあげ始めて3日、随分顔つきが力強くなって来た気がする。が、全然安心は出来ない。頑張って欲しい。

12/12 
一進一退というか、楳の食欲はやはりあまり多くは無い。ので日に2回強制給餌+高栄養剤。楳に栄養を与えようとはじめたヤギミルクや高栄養剤だが、気のせいか腫瘍の大きさがここに来てどんどん大きくなっている気がする。とにかく楳に食べてもらおうとする事が、理不尽にも腫瘍に栄養を送っているみたい。ブリタのカートリッジを交換して次の交換日を設定したり、歯医者の予約を取ったり、来月のバイトのシフト希望を出したり、色んな先々の予定を立てねばならない時、この頃に楳は居るんだろうか、と常に思う。

12/16 
依然として食は進まない。一昨日は食べさせ過ぎて深夜にリバースさせてしまった。なので在宅出来る日は少量に分けて回数を増やす事に。昨日は寒い冬の雨で楳を保護した日みたいだった。楳も保護した時くらいに痩せて来た。でも明け方に私の布団には入ってくるのが、本当にかわいくて仕方ない。さっき日向で保護服を着替えさせて、久しぶりにブラッシングしてあげたけれど、ガリガリすぎてブラシをかけるのも難しくてボロボロ泣いた。以前ならばうっすらと喉を振動させていた楳だったけれど最近は全く聴こえない。せめてずっと晴れの暖かい日が続きます様に。

12/30 二週間近く何も書いていなかった。楳の調子は変わらず。腫瘍は大きくなってきている。少しだけにおいもある。カサブタの中はどうなっているんだろう。長時間家を空けるのが不安なので、昨夜は家で忘年会を開いた。保護後、一時は里親を探していた楳を「うちの子にしよう」と決めた際の名付け親で、帰省時に楳を数日間預かってくれた事もある直ちゃんや、楳に会った事のある友人らに会っておいて貰いたかった。
最近の楳はガリガリにやせ細ってしまっているのに、やけに美人に見える。「親ばか」というのを抜きにしても凄くきれいだなと思う。ドラマ「カーネーション」の終盤、死期が近づいた糸子が孫に「最近おばあちゃんきれいになったんじゃない?好きな人でも出来たの?」と言われる場面を思い出した。糸子は笑って誤摩化すだけだが、自分はその理由を知っている。目に映るもの全てが美しく見え出すとも語っていた。楳の目にも全てがそう映ってくれていたらと願う。明日はようやく大晦日でこの分だと何とか年を越えられそうだ。既に余命宣告期日を2ヶ月以上過ぎている。

1/4
新年初バイト。無事楳も年を越せた。さすがに今の状態の楳を移動させられないし、かといってキャットシッターに頼める状態でもないので、両親には申し訳なかったが何年ぶりかの東京での年越し。これも母の検査結果がひとまず安心出来るものだったお陰だ。余命宣告時は頑張っても年越しは無理だと思っていたので本当に良かった。しかし保護服を脱がせてみたら、腫瘍部分に当てているシートに血がついていた。ずっと一番大きな腫瘍を覆っていた見事なカサブタがボロリと取れてむき出しになったせいだろう。気がつかず可哀相な事をしてしまった。まだ自壊はしていない様だが、その時用にと貰っていた薬を塗った。さらに左胸に出来たしこりが急激に成長していた。恐ろしい勢い。私は楳をより辛い方へ追いやってるのかもしれない。余命宣告の理由となっていた肺の方は依然として安定している様に見えるが、いったいどっちが楳にとって(と言いながら自分にとっても、だな)幸せなんだろうかとよく考える。呼吸が苦しくなって死ぬという事と、腫瘍がどんどん大きくなり、数も増えて動く事もままならなくなり、ものが食べられなくなってやせ細って死ぬという事と。特別な治療もしていないのだがら延命治療の是非を問うという訳ではないけれど。夕方帰宅したら、楳がトイレの中でしばしうずくまってしまった。最初はウンコを踏ん張っているのかと思ったが違った。こんな事は初めて。もうそんなに体力が落ちているのかと悲しくなった。

1/5 
今朝はゴハン催促やトイレ掃除、布団に入れてくれという催促で起こされなかった。楳は寝た時と同じ家人の足元で毛布にくるまって寝ていた。夕方、飲み水の前で伏せの姿勢でジッとしている楳の後ろ姿を初めて見て、自ら水も飲めなくなってしまったのかと焦ってシリンジであげた。何だかここ2日、行動が変わってきたと感じる。保護服を着替えさせたらあまりにも骨骨しくて、それは保護当時かそれ以上の痩せ方で、もうどうしていいのかわからない。泣いている場合じゃないけれどシリンジでゴハンをあげながら泣けて泣けて仕方が無い。ペーストゴハンはそこそこ食べていても、どんどん痩せて行く。もう一度点滴を打ちに病院へ行くべきか。迷う。

1/7
腫瘍の一番大きなものの一部が自壊を始めた。昨日あたりから少し生臭いにおいがしていて、口臭かと思っていたけれど違った様だ。これがいずれ「堪え難いにおい」になっていくのか。それでもペーストゴハンはシリンジでよく食べた。ただ食後水を飲もうとして器の前でヘナヘナと伏せの姿勢をしたまま「疲れた」という風に器の端に顎を乗せて動けなくなっていた。こんな楳は初めて見た。慌てて泣きながらシリンジで水をあげた。楳は元々自分の反対側の器の縁を使ってでないと水を飲めない変わった猫なので(しかもそれだとジャブジャブ飲む事が出来ない)、余計に疲れてしまうのかもしれない。どこまでも楳は楳だ。夕方になると少し呼吸が荒くなった様な気がした。筋肉も体力も落ちているだろうから、何をするにも疲れるだろう。楳との別れが日に日に近づいているのがわかる。以前twitterで見かけた「猫は自分の未来を悲観しない」という言葉だけが支えになっている。楳をとにかくなるべく楽に送ってあげなければ。頑張らなければ。

1/8
朝、楳が呼吸困難になった。初めて口でハッハッと苦しそうに呼吸していた。しばらくして落ち着いて、いつもの様に鼻呼吸になったけれど、余命宣告された時に医師に言われた最終的に陥るだろう症状そのものだったので、家人を叩き起こし、ひたすら名前を呼び、ゴリゴリした背中を必死で撫でさすった。この1時間前、久しぶりに楳が布団に入れてくれと枕元にやって来て、私の鼻にピタピタと鼻をすり寄せ目が覚めた。そんな事は久しぶりで(昨日ももうこのまま楳が布団に入ってきてくれる事は無いのかもと思っていた)凄く嬉しかった。小1時間、布団の中でモゾモゾしていて、這い出たと思ったら呼吸がおかしくなっていた。30分程で小刻みながら落ちついた呼吸になったが、立ち上がったりせずぐったりしていた。
10時半、単身病院へ。事前に電話で確認して自宅で出来る栄養剤の点滴を貰い、そのやり方を教えてもらった。医師に今朝の楳の症状を説明してたらつい泣いてしまった。
帰宅して即点滴。初めてにしてはまあまあ上手く出来たと思う。以前ならば考えられないが楳は全くの無抵抗だった。針を刺すのにつまんだ背中の皮膚がもう殆ど脂肪が無くなっていて、医師に言われた様に皮膚を突き破らないよう慎重に角度を決めた。点滴後、すぐにトイレでオシッコとウンチを少しした。筋力も衰えているしヨレヨレしているが、まだ自力で歩いている。しかし呼吸は小さく小刻みのまま。また朝の様に口呼吸が始まった時のため、役に立つのかわからないけれど酸素スプレーをネット注文した。間に合うだろうか。明日のバイトはまた休む。面目ないけれどもうどう思われてもいい。楳のために始めたバイトだ。しかし私は「大人」として失格だ。でもいい。はなから失格だ。
夕方、風呂に入っていたら泣けてきた。ずっと覚悟をしてきたつもりだったのに。いやだいやだいやだ。楳と別れたくない。いやだいやだいやだ。もっとずっと一緒にいたい。

1/9 明け方、夢に亡くなったイタコの祖母が出てきた。祖母が夢に出て来る事など滅多に無い(出て来たのは本人が亡くなった日の夜)ので何か意味深だった。腫瘍の自壊と共ににおいが出てきたので、ネットで乳腺腫瘍の消臭に最適と評判のスプレーを開店直後の島忠で購入。点滴道具が煤墨に触られない様、高所にぶら下げるフックも。これで万全。

呼吸は小刻みながら安定している様に見えたので、ご飯を少しでも食べられたらと思いシリンジで2口ほどあげたら、途端に苦しそうにして口呼吸になってしまったので慌ててやめる。もう楳にとって「食べること」=「苦しいこと」になってしまった。苦しい事をされるのが嫌で私と距離を置こうとする。それでも高栄養ジェル剤だけは気に入って進んで舐めてくれる。これが無かったらもう楳は口から栄養を取る事が出来ない。けれど栄養剤の点滴も数打てるわけではない。これで私が出来る事が1つ断たれてしまった。
日向でガリガリの体を久しぶりにブラッシングしたらゴロゴロは聞こえなかったけれど、気持ち良さそうにしていた。元々楳はブラッシングが大嫌いだったけれど、実家近くの百円ショップで買ったブラシだけは不思議なくらい気に入って、ブラシを出しただけで近寄ってくるほどだった。保護服を着替え買って来たスプレーで腫瘍をきれいに拭き取り、カサブタで剥げかかっていた毛をカットした。その後楳がなるべく苦しくない「伏せ」の態勢で抱っこして、2階の少し開けた窓から外の景色を見せてあげた。これまでと同じ様にクンクンと外の匂いを嗅いで、たまたま眼下を通りかかった自転車を見て長い尻尾をバンバンと力強く私の太ももにぶつけた。嬉しい時、興奮した時の楳の合図だった。

22:30 仕事から家人帰宅。トイレ砂の上に乗せてあげたら勢い良くオシッコを済ませた。トイレから自力で出て、暗がりの方へフラフラと歩くと突然ガクリと伏せ苦しみ出した。もんどりうって、撫でさすろうとする私の手を強い力で蹴飛ばした。どこにそんな力があるのかという感じで布団を駆け上がり、必死に口呼吸を繰り返した後、もう何日もひと鳴きもしなかった楳が渾身の力を込めて大きく「アー!」と叫んだ。凄い声だった。泣きわめく私に家人が「落ち着け。俺らが落ち着かないでどうする!」と言ったが無理だった。そのまますうっと、ろうそくの火が消えて行く様に楳は逝ってしまった。家人が帰宅して1時間経っていなかった。
まるで生きているみたいに目を見開いたまま。楳の一番かわいい時の、本当にきれいな顔をしていた。楳が苦しくなりそうで、あまり出来なかった抱っこしたら、ふんわりと柔らかく軽かった。痩せてしまっていたので体重はとても軽くなってはいたけれど、楳の体から魂が抜け出た軽さの様に感じた。それとも神経質でビビリだった楳は、常に体に力を入れて生きていたのかもしれない。生きる事の緊張からようやく解放されたのかもしれない。
まだ温かい楳の胸から脇にかけての腫瘍を改めて拭いてあげた。一人では触るのが難しく家人が帰宅してから2人でやろうと思っていた血の塊や毛玉になってしまっていた部分もカットしてあげた。腫瘍の転移はだいぶ進んでいたけれど、改めて見たらひどかった。これでは何をするにも不自由だっただろう。でもここからさらに転移が進んでもっとひどい状態になって、それに伴って介護の手間もかかり、神経も使う事になっていただろう。その覚悟をずっとしてきた。けれど楳は私たちにこれ以上の苦労をかけない様に駆け足で逝ったんだと思えた。最期もまた楳から与えられてしまった。私は楳の大事なものを奪ってばかりだったのに。
あの日、野良のまま野良らしく野垂れ死にしていたとして、それが可哀相で不幸な事だったとは言えない。むしろ幸せだったかもしれない。衰弱し食べ物を受け付けなくなりやがて餓死するというのは生き物としては全うな逝き方で、脳にモルヒネの様な物質が分泌されて、半ば夢心地で逝くのだというのを聴いた事がある。だから私が「救った」と思っている行為は生き物として「余計な事」だったかもしれない。けれどその真意は絶対に誰にもわからない。


__________________________________

初七日を迎えた今日、楳が亡くなってから初めて真夜中に目が覚めた。
楳は野良時代に食べる事に困ってばかりだったのだろう、一日中ゴハンを催促して、ひどい時は毎日何ヶ月もの間 1時間おきに起こされた事もあったし、噛み癖が悪かった楳はその起こし方も個性的で、常に本気噛みをするため、私の腕や手や顔には生傷が絶えなかった。ここ数年は正確な腹時計により早朝5時頃痛みをもって起こされ、ゴハンをあげて食べ終えたら共に2度寝するのというのが朝のお決まりだった。今は誰も私の睡眠を妨げる事が無くなり、何年ぶりかの連続睡眠が出来ている。生まれてから食うに困った事のない煤墨の2匹は決してゴハンの催促で私を起こしたりしないのだ。
そしてここ2ヶ月は楳に強く噛みつかれる事もなくなっていて、私の体も随分きれいになり、人目にさらすのを躊躇われる程であった手や腕も嘘みたいに今は無傷だ。でも、ほとほと困り果て悩み、最終的には抗う事を諦め、楳に合わせる事を選んだ万年寝不足の日々が終わりを迎えてしまった事、そして私の体にもう新しい傷が増えないという事が今は寂しくて仕方ない。

真夜中に目覚めて1階に降りたら、昨日降り積もった雪に外灯の光が反射して楳が好きだった窓辺が白く輝いていた。ひどく冷え込んでいたけれど、楳が愛した日向の様だった。今頃は存分に日向ぼっこしてくれているだろうと思った。
布団に戻ると私の枕元に煤か墨がねずみのおもちゃを置き去りにしていた。お供えか、と笑ってまた布団に潜り込む。みんな楳を想っている。あの日から煤墨も明らかにいつもと様子が違う。あまり仲は良くなかったけれど、猫らは猫らで確実に何かを築いていたのだろうと思うと少し救われる。残された者はそれぞれに想いを抱えて進んで、時々揺れ戻されながらも、また進んで行くしかないのだな、たぶん。

楳が幸せだったかどうかはからないながらも1つわかっているのは、楳と出逢って、私が幸せだったという事だけだ。それは揺るぎない事実として、この体に今もうっすらと残る噛み傷の様に一生消える事は無い。もうそれだけで多分十分なのだと思う。



c0138553_14475443.jpg



c0138553_14484085.jpg

[PR]
by sakamotochiaki | 2013-01-15 14:50 | ◎楳猫 | Comments(0)