ひとくぎり。

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今日、楳のお骨を中野にある動物霊園に埋葬してきた。

楳の体はもう無くなってしまっていたのだけれど、四角い箱に収められた骨壺とその中の骨に、自分でも思っていた以上に執着していて、この3ヶ月の間、何度も撫でたり、話しかけたり、抱きしめては泣いたりもしていた。
悲しいかな楳を抱っこした時の様に、その箱に体温は感じられないものの、しかし陶器で出来た骨壺とはよく出来たもので、その重みが辛うじて楳の重みを思い出させてくれた。
荼毘にふして、骨壺に収まった楳を連れて家に帰る時もその重みに感謝した。肩にかけたバッグの重みが往路よりあまりにも軽かったなら、私は道中その喪失感に耐え切れなかったのではないかと思う。

四十九日の時点では「埋葬は暖かくなったら」と言いながらも、既に桜の時期も終わろうとしており、家人にも「もういっそ半年目にしちゃおうか」などとグズグズと話したりもしていたのだけれど、ここ最近の体調不良がようやく回復してきた数日前に、突然はたと「今だ、今しかない」と思い至った。このタイミングを逃しては私にとっても楳にとっても絶対にいけない様な気がした。
ちょうど9日は楳の月命日であったし、それまで家で過ごしてもらって、10日である今日、友人知人宅の歴代の猫先輩らが眠る共同塚に、私と家人の手で埋葬してきた。改めて見る楳の骨はとても小さくて細くて、その1つ1つに様々念じながら土にかえした。
多くの動物が眠るその霊園は桜の名所でもあるそうで(残念ながら今年は見られなかったけれど)、他にも沢山の木々が植えられており、これからますます良い季節になっていくだろう。すぐ近くに大きな道路が通っているにも関わらず、静かで穏やかな空気が流れているのも嬉しい。訪れた午前中は清々しい日和で、家人と2人、何かとてもホッとした様な気持ちになって、帰り道はてれてれと駅まで歩いた。

例えばiPhoneで「楳」と打とうとして、一発で漢字変換されなくなった時、私は愕然とした。
2年程前、twitterで「今年1年で1番使用した漢字」というのを調べた時、「楳」は堂々の1位だったのだ。今は亡き恩師に「そんな人いないよ」と失笑されたほどだった。それは私が毎日毎日飽きもせず楳について書いて、考えてきたからだけれど、こうやって私は楳を忘れていくのか、というのを示された様な気がして、寂しさと罪悪感の様なものを感じたりしていた。しかもそれは毎日少しずつ溜まっていき、何処にも吐き出せるものでもなかった。
でも今日、ああ、それは違うんだと思った。全てを言葉には出来ないし、むしろ言葉に出来ない事の方が断然多い。大事なものほど寡黙にならざるをえないのだ。だからやっぱり私の楳への気持ちは変わりようがない。
とはいえ、これからも日々暮らして行く中で、何度も揺り戻されるだろうけれどそれももう仕方がない。これは前向きな諦めの様な気持ちだ。


霊園の事務所前には門番の様な野良がいて、1月に行った際も、そのふてぶてしさ(褒めてます)に悲しみの中、笑わせてもらった。今日もやって来る人全員に撫で回してもらっていた。本人(猫)はその重要な役職に無自覚だろうけれど、私の様に彼に救われた人も少なくないと思う。また会いに行くのが楽しみだ。
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煤墨はすこぶる元気。今月末にはついに1歳になる。最近は一緒に風呂に入るのだ(2匹は蓋の上だけれど)。
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欠伸墨。
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弛緩煤。
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楳、やっぱり有り難う。これからみんなを見守っていておくれね。
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by sakamotochiaki | 2013-04-10 22:29 | ◎楳猫 | Comments(0)