3年目。

c0138553_21164479.jpg
今日は楳の命日でした。
楳が亡くなってからほどなくして、私の東京〜青森行ったり来たり生活が始まり、つまりはこの生活も3年目。もしこれが半年〜1年後にズレていたら私は正気を保っていられただろうか、とよく考えます。楳は色んなことを加味して、一番のタイミングを選んでくれたのかもしれないと。我ながら親馬鹿ならぬ飼い主馬鹿だなあとは思いつつも、しかし猫とは、人の想像を超えて察しの良いいきものであると思うのです。

不思議なことに、楳亡き後、両親の世話をしている様々な場面で、楳との日々に共通する出来事がよく起こります。「ああ、あの時楳はこんな気持ちだったのかもしれない」「こんな辛い状態だったのかもしれない」と今更気づいてハッとするのです。
言葉(ここでは人間の)を持たない楳は、泣きわめくことも、取り乱すこともなく、苦しいと訴えたり、悪態をついたり、明日を悲観することもありませんでした。まあ猫だから当たり前かもしれませんが、ただじっと静かにその日まで生きていて、全てを受容しているかのようにも見えました。そんな楳の姿を思い返すと、いかに人間が弱いいきものであるかを痛感する訳ですが、と同時に楳はこれから起こる様々な出来事に私が当たり負けしないように予め練習をさせてくれたのかもしれないなと感じます。もしかしたらそのために私の目の前に現れたのかもしれないとも。

亡くなってもなお、こんな風に勝手に言われて、頼られていることを楳は呆れているかもしれませんが、3年経ってもやはり私にとって楳という存在はどうにもこうにも大きくて、そして楳との出逢いに改めて感謝せずにはおれません。

ありがとう楳。
お陰で私はまだまだ頑張れる。
だからそこで見ていてね。
そしてたまには夢で会いに来てね。



最初の画像はハルカゼ舎のひめくりカレンダー。今年も心のこもったひとことをありがとう。
今日という日に「退屈をあげる」第3刷の準備の準備もスタートしました。完成はまだ先になりますが頑張ります。どうぞよろしく。












[PR]
by sakamotochiaki | 2016-01-09 20:30 | ◎楳猫 | Comments(0)