レビュー/六ヶ所村ラプソディー

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「何故、下北がそういう場所に選ばれたのか」という問いに、長年下北に着目し続けた映画監督の土本典昭氏は「へんぴだからですよ」と答えた。即答だった。
「便利なら東京湾に作ればいいんだ。あそこだったら人を殺しても大した数は死なないから」と。
或はイギリスで「放射能汚染から環境を守る会」の活動をされている女性は「何も起こらないうちは施設を支援する。がんや放射能に関連する病気を発症して初めて疑問を持つ」と言った。彼女の息子は放射能が原因と見られる白血病であった。

これらの言葉が何もかもを集約している。
もしも風や海を伝って遠方に暮らす自分たちの場所まで害が及ばなければ、その被害が六ヶ所だけで済んでしまうのならば、人々はこの件を問題視しただろうか、と考えてしまう。 これまでずっと面倒ごとは皆日本の端っこに追いやられてきたじゃん、という話だ。もちろん私も含めてだが。

しかしこの年末年始、実家のある三沢(ここはここで米軍基地問題も抱えている)に帰省した時、両親も幼なじみもその家族もこの映画の事など全く知らなかった。というより、この六ヶ所にも程近い地域ですら、その感心はひどく薄いのが現実。圧力などもあるだろうから、なかなか地元での上映も難しいのかもしれないが、農業や漁業などの、一番最初に打撃を受ける職業であったり、自らの興味を持ち探っていく様な事でもない限り、ただ漫然と生活している状況では情報は入らないのかもしれない。
それは青森出身の私ですら、この作品を今さらようやく観ているという事でも言えるだろう。知らなすぎるのだ。前半に登場する漁師達とデモ隊衝突の場面など、あれほど激しく異様な出来事をコレまで全く知らずに(或は気に留めずに)いたという事も、自分で驚いてしまう程だった。

と同時に、核燃を大きなビジネスチャンスととらえるクリーニング屋経営者の姿もまた真理。もし私が彼だったら、間違いなく同じ行動を取っている。この後の人生、食いっぱぐれないためには選択肢は無い。彼もまた必死なのだ。「利権」というものがプンプン臭ってくる登場人物ですら「六ヶ所の未来を、発展を考えて」という気持ちに嘘は無い様に思えてしまった。

いずれにせよ、この作品は非常に良い作品には違いない。
少しでも偏った雰囲気を感じたら、恐らく最後まで観ていられなかったと思うけれど、そういうものは無かった。
私に美しい言葉で感想を書く事は出来ないが、ことあるごとに聞こえる「やませ」の轟音が、昆布小屋の婆達のディープな訛りが懐かしい記憶とも結びつき、余計に苦しい気持ちになった。

写真は完全無農薬の米を作る苫米地さん。実家の近所のおばちゃんそっくり。
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※上映会が託児付きというものであったため、子供釣れ参加率が高かったのだけれど、皆映像に興味は無いものの上映の妨げになる様な子供は一人もおらず、実にスムースで良かった。最後の方で何故か全裸で走っている子は居たけれど(イラスト参照)。平和な眺めだった。
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by sakamotochiaki | 2008-01-21 17:06 | Comments(0)