トシの要求

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「ぐるりのこと」を観て来た。
良かったのか悪かったのか、家人と供に。
ハンカチで拭うより早く、首まで涙が滴り落ち、もういいいや、流しっぱなしじゃ、と途中から観念した。正直、周りの誰に勧めて良い作品なのかよくわからないのだけれど、いい作品だった。

主役はごく平凡な夫婦で、彼らと、彼らの家族の、喪失と葛藤と再生の物語であるけれど、冷静に淡々と少しずつ日本がおかしくなってきた歴史を、法廷画家という傍観者の視点から描いている。無駄な描写も無く、長回しの場面が多く取り入得られているせいで、ドキュメンタリー作品の様でもあった。

プロの役者に混じって、見事に夫/カナオを演じたリリーさんの度胸にはひたすら感心。アドリブの様な言葉、表情、仕草、多々盛り込まれる下ネタ(実際は綿密にエチュードやリハーサルを重ねた結果だそうだけれど)など、不自然さを全く感じず、画面にいるのは完璧にカナオだった。妻/翔子役の木村多江も、これまでは正直あまり興味の無い女優さんだったのだけれど、難しい役をよく演じきっていた。入り込み過ぎて、本当に辛そうで、彼女の苦しむ姿は、状況は違えどまるでいつかの自分を見ている様だった。
そして橋口亮輔監督が自らの鬱病経験を元に、日本社会の変質を訴えるこの作品を制作し、公開された翌日、奇しくも秋葉原の事件が起こった事を思うと、何とも因果なものを感じる。

このところ常に思考を占拠されていて、頭の中の整理も付かないまま乱暴に書き綴ったり、訂正したり、また書き直したり、何だか「片付けられないゴミ屋敷の住人」の様な気分だった。たまたま読んだ『いのちの食べかた』が、また微妙にリンクしていた事もあり、余計に混沌としてしまい、読まれた方は何だかなあ、という感じだったかもしれないけれど、ただただ思考は蓄積されるばかりで、まとめる事も、捨てる事も出来なかった。だって全部ゴミじゃないんです。みたいな。

昨日、友人の写真家・杉本文さんのブログで紹介されていた英文学者/藤森かよこさんのブログhttp://www.aynrand2001japan.com/akira/akira20080612.htmlを読んで、この私の中のゴミ屋敷は、一旦整理が付いた様な気がした。まあ、またすぐ溜まるかもだけれど。
テレビや新聞、ネットなどの様々な情報を得る程に、特にワイドショーなどの一辺倒な報道の仕方(無理も無いけれど)につくづく滅入り、泣きたい気分になったのは、「彼は悪い。100%悪い。しでかした事を擁護する事は断じて出来ない。が、しかし」という部分だった。でもでもでも、何故何故何故、という気持ちだった。

私の啓蒙漫画『THE WORLD IS MINE』の主人公である大量殺人犯トシモンの一人トシを思い出した。「現実を漫画と一緒にするな」と言われれば、本当にその通りなのだが、しかしどうしても彼とトシがダブって仕方が無かった。トシは人の弱さの象徴の様なキャラクターで、多くの読者が彼に自分を投影し、読み進めていただろうと思う。事実、私もそうだった。
彼のやった事は100%間違っていて、目も当てられない程の悲惨な彼の最期も、全く致し方ないものであったけれど、どうしようもなく救いがたい彼を、それでも何故誰も救ってあげられなかったんだろう。何故彼は自分を救えなかったんだろうと、ただの一読者の立場であるにも関わらず、私はとても悔しい気持ちだった。何に対してか、懺悔したい気持ちだった。それと同じ感情を今回も持った。

藤森さんが書かれている様に、25歳なんて最低かもしれない。思い起こせば私の25歳も、彼程ではないにせよ結構最低だった。
イラストレーターと二足のわらじ(というか主な収入源)だったアルバイトも首同然で辞め、かと言ってイラスト一本で食べられる宛もなく、貯金も無く、5年に及んだ恋(しかも片思い。かー。)が終わりを告げ、今より体重も俄然多く、今後どう転んでも私が恋に恵まれる事などあろうはずもないよと確信し、でもだからといって田舎に帰って見合いをしたり、海外留学という名の逃亡を計る勇気などみじんも無く、三鷹の1K安アパートではたと気づいた。 大学卒業時の藤森さんの様に。
なんかもう全然ダメじゃん。ゼロじゃん。マイナスじゃん。大学出て、しかも親のお金で、何やってたんだろう今まで。と。
とどめを刺す様に、その夏、日焼けが原因と思われる、顔面全部が火ぶくれの様に腫れ上がるという症状が出た。朝起きて鏡を観たら最低の自分がそこにいた。思わず悲鳴を上げた。しかも金も無いのに病院に行かねばならなくなって、自分が呪わしかった。

そこで私はたぶん、自分を見切った。周りを見切った。顔面はそんな状態だし、バイトも出来ないし、ただひたすら六畳の部屋に引きこもった。コンビニの店員と、病院の先生以外では誰にも会わず、誰とも話さず、だけど時間は膨大にあって、お金は無くて、安く長く時間をつぶせる方法はないかと考えた末、本当に馬鹿かと思うが、500円でキーホルダータイプのテトリスを買って、ひたすらひたすらそれをやった。同じ理由で食事を削り、ひたすらに筋トレをした。アホみたいに一日中、テトリスか筋トレをした。絵でも描けば良かったが、絵など描く気にもならなかった。
思えばそれは、突然カチッとスイッチが入った様な感じで、私の人生初の「やけ」だった。と言っても、他人から見ればわからない程度の「やけ」だったが、全部をリセットしたかった。やり直したかった。今気づいたけど、あれ、自分テトリスだったか。

相当にしょーもない。そんな話を、起こった痛ましい事件の引き合いに出すのも本当に馬鹿みたいだし、とても失礼な話だと思うけれど、私の「やけ」のベクトルは自分に向けられたもので(これは一人っ子故の何でも自分一人で決めて解決しようとしてしまう性質からか)、規模も情けない程小さいものだったが、これが大きく増幅され、他人へと向けられた時の事を考えるとやはり怖い。

顔の症状が治りかけた頃、体重も面白い様に減って、「つきものが取れた」とはこういう事だったのか、という風に私は久々に外に出た。何だか俄然ウキウキとした。自分で自分の写真を撮ったら、全然違う自分が映っていた。何かしたくて仕方なかった。元来人見知りである私が、そこで抱いた思いは、ひたすら「自己紹介がしたい」だった。自分を知らない人に会って、最初からやり直したいと思った。まあそこで、誰に会う予定も宛も、これと言って無かった訳だけれど、それでもしまた落ちる事があっても、もう何とでもなるし、大丈夫だと思えた。そしたら本当に気持ちも体も軽かった。

運が良い事に、自分やり直し中に、ダメ元で何となくやっていた郵送営業(イラスト資料を編集部などに勝手に送りつけて売り込むという大変不躾な方法。でもコレが一番お金がかからなかったし、人に会うのが面倒だった。)で、何件かの仕事にありつく事が出来、いつでもアルバイトの面接に行ける様に履歴書を傍らに持ちつつも、そのままギリギリで食いつなぎ、それを繰り返し、辛くもフリーとなった。あろう事か2年後結婚もした。本当に自分が一番ビックリした。有り難い事に数は多くはないけれど、友人とも繋がっていてもらえた。そのままアルバイトもせずに、今生活出来ている事にも驚く。でも、これは本当にたまたまだったと思うのだ。「やっぱり絵を描きたい」って目的があったからじゃないの?とも思わないでもないが、当時は営業しながらも「別に絵をやめてもいいかも」と思っていた。何しろ自分を見切ったから。自分に期待するのをやめたから。

事件以降、頭から離れないトシの台詞がある。物語の前半部分で、トシが人質を取って、警察署に立てこもる場面があり、そこで警察とやりとりをする場面。警察に「要求」を聞かれて、咄嗟に答える彼の台詞。

「世に棲む生きとし生けるものすべてが、自由に、平和に平等に、
 美しく、明るく、楽しく暮らせる、幸福と善意と優しさと愛に満ちた、世界」

これは皆の願いである。当たり前にそう思っている。しかしこんなに難しい事は無い。この世には明らかに格差があり、差別がある。
この言葉が頭をグルグルと回り、たまらない気持ちになる。

『ぐるりのこと』の橋口監督は自身の経験を経て、「希望は人と人の間にある」という答えに辿り着き、それをこの作品で表現された。この言葉も当たり前の様にも、ともすれば陳腐にも聞こえるけれど、今はたぶん、それを声高に言わなければ、いちいち念頭におかなければいけない時代なのだろう。
秋葉原の彼は、あまりにも一人だった。そして不平等だった。そんな人、他にも沢山居る、だからって皆が事件を起こす訳じゃあ無い、というのももっともだし、私もそう思う。でも、そんな人が沢山いるという事が、誰かとの間にかすかでも希望を見いだせないという事が、そもそも悲しい事なのだよな。
藤森さんの書かれている様に「この世に起きる事」を他人事で済ませちゃあいけない。想像して、考えて、行動して、責任をもたねばならない。

※イラストは意外とお腹肉が乗っかってたリリーさん。
 撮影で規則正しい生活を送っていたら、食べ過ぎて太ってしまったらしい。

よくわかっていないままに登録してしまいました。よろしくです。
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by sakamotochiaki | 2008-06-17 16:49 | ◎こんな日々 | Comments(0)