カテゴリ:◎こんな日々( 523 )

気がついたら既に天草帰省から東京に戻って1週間経過してしまっているのであった。で、色々書こうと思っていたものの、なんやかんやで今回一番衝撃的だった写真をドドッと載せます。手抜きといえば手抜きであるが、いや本当にこの帰省のある意味ハイライトではあったので。

帰省した翌日、天草最南端に位置する牛深という場所のハイヤ祭りを見に行く道中、車窓から見えた畑に集まる謎の群衆を見つけて「何だ何だ」と思わず車を停めて家人と近寄った。
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さらに近寄ったら、
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ぎゃー!人形!!(しかも猿?何で猿?)
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楽しげに踊るあの人もこの人もみんな人形!!(奥は本物の人間)
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川の向こう岸にもワラワラと、
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川で松方ばりに巨大魚と戦う人もあれば、
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追う河童と逃げまどうオッサンもいるし、
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廃材や藁を利用しているとは思えぬクオリティの牛もいて、
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小道具がホンモノ故に妙なリアリティもありすぎで、
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中に1人くらい本物が交じっていていきなり動き出すんではないかとビクビクしつつ、
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表情豊かな面々にひたすらカメラを向け(歯が1本1本作られている!)、
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寒さも忘れて撮りまくり、
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1人遠くで主張する彼にも手を振って、
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めでたい気分でその場を後にした。
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こういうことだったのか、と最後に知った。
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「かかし村」...。
牛深に向かう1本道にある「宮地岳」という土地の「町おこし」といったところだろうか。
すぐ横で婦人会らしきおばさま方が手作り惣菜などの販売もしていたので、家人が興奮気味に「いったいいつから飾られているんですか?!」と質問するも「は〜4月くらいからですかね〜」とあまりにもボンヤリした他人事の様な受け答えに「そ、そんだけ?!」と肩すかしを食らう。いったいどなたが発案し、この素晴らしい造形力をお持ちなのか、制作、設置にはいったいどれだけの時間を費やしているのか、それはもう大変な労力だと思うのだが、結局さっぱりわからず終いであった。
お陰で牛深ハイヤ祭りがすっかり霞んでしまったほどだったが、帰宅して義父母に興奮して話したら「あ〜あ〜宮地岳な。なんかTVで言いよったな。あっちに用事なかけんなあ。」とあまりにもあっさりした反応にも肩すかし。まあ、実際に実物を見ても義母あたりは「気色悪かね〜」の一言で終わってしまうのかもしれないけれど。

町おこしとして、その方向性は間違っているのかもしれないけれど、こんな風に物凄いものを作っていても、だーれも知らないまま終わっているものが、日本の田舎には信じられないくらい沢山あるのかもしれない。
あまりにも瞬間的、局地的な沸点の高さに大興奮してしまうのは、私の様にふらっとやって来た何の責任も無い余所者ばかりで、しかもそれもごくごく少数なのかもしれない。




最後におまけ。天草のピカピカのお刺身。ああ、美味しかったなあ。
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あ、そうそう。今日で煤墨が推定1歳となりました。今帰省中、初めてのお留守番を経験して、もう立派な大人であります。また1年元気で過ごせます様に。
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前にも同じタイトルで書いた事があったけれどあえて。
もう見られないと思っていた阿佐ヶ谷住宅の桜が、今年も花を咲かせてくれた。
何とも無粋な黄色いロープに囲まれ、中に立ち入る事は出来なくなってしまったけれど、それにオタオタしてしまうのは人間ばかりで、桜はただ黙々と準備を整えて、その時が来たら全力で咲く。動き出した再開発を知って知らずか、こんなにも早くその勇姿を見せてくれた。さすがとしか言いようがない。


惚れ惚れする立派な幹。週末には一気に満開だろう。
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先日帰省した際、実家裏の小さな森が丸ごと無くなって、切り倒されたというよりは、なぎ倒されただろうか、大量の木が山とつまれて何箇所にも置いてあった。まさに木の墓場、という光景だった。その森に特別な思いがあった訳でもないのに、その光景は脳裏にこびりつき、今もことあるごとに思い出している。その森だった場所には今後更地にされ、恐らく味気ない「夢のマイホーム」がボコボコと建つだろう。
阿佐ヶ谷住宅を更地にするのにもそう時間はかからないのだそうだ。50年という時間をかけて作られた風景も壊すとなれば一瞬。それを見る覚悟は今はまだ出来ていない。一部外者の私でそうなのだから、実際に長く住んでおられた方々や縁のある方々の気持ちはいかばかりだろうか。今はただ黙々と淡々と咲き始めた桜をしっかりと記憶に焼き付けたい。

この週末にお花見を予定されている方は、阿佐ヶ谷住宅にも立ち寄ってみてはいかがだろう。残念ながら桜の木の下でとはいかないものの、その素晴らしさはロープの外からでも伝わるはず。善福寺川の喧噪から目と鼻の先にある別世界。阿佐ヶ谷住宅の最後の桜をぜひ見てみてください。


杉並の税務署前の道ももうすぐ桜色に染まる。大好きな眺め。
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これからもっと緑も影も濃くなっていく。
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桜桜言っていますが、もちろんこの季節は桜以外にもお花見が出来ます。芽吹きの季節の阿佐ヶ谷住宅はまた格別ですから。
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阿佐ヶ谷住宅から我が家にやってきた水仙の球根は、このまま葉が枯れ切るまでは栄養を球根に貯めている時期。しなだれつつがんばっている。
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※3/21追記
3/21〜31(30除く)の期間、中央広場の一部が開放され、自由にお花見を楽しめるようになったそうです。
場所取りは不可だそうですが、桜の木を近くで見られます。(もちろんゴミは各自お持ち帰りです!)
最後ですもん。存分に眺めたいと思います。(その前にお仕事を何としても終わらせねば!)
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2/24(日)AM10時〜12時、南阿佐ヶ谷のオトノハさんにて開催される朝市で、阿佐ヶ谷住宅の水仙の球根を配布されるそうです。
詳細はコチラコチラをどうぞ。

今日、税務署に行くついでに阿佐ヶ谷住宅へ行ってきました。というよりも阿佐ヶ谷住宅のついでに税務署、が正解かもしれません。杉並区税務署は阿佐ヶ谷住宅の目の前にあって、私にとっては毎年面倒な申告も「まあでも、阿佐ヶ谷住宅を散歩出来るし」というオマケ付きだった訳です。「阿佐ヶ谷には阿佐ヶ谷住宅がある」という事が、阿佐ヶ谷で暮らしていた1年前まで、いや引っ越して少し離れてしまった今でも、何だか自分勝手に誇らしいと思えました。

もしも今まで知らなかった、一度行ってみたいと思っていた、という方が居たらどうか早いうちに。毎春美しい姿を見せてくれた桜の木々に現れた小さな蕾は今年も咲く気満々ですが、その開花を見る事はもう出来ないかもしれないそうです。
形があるものはいつか無くなるというのは仕方のない事かもしれませんが、天寿を全うしたとは到底思えない木々や草花の静かながら力強い息づかいを感じるにつけ、一部外者の立場でありながら、やはり複雑な気持ちです。

人の手と生き物が長い時間をかけて築き上げた素晴らしい生態系。
あとどのくらいの猶予なのかはわかりませんが、私もなるべく足を運んでこの目にあの風景を焼き付けたいと思います。

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<2/25追記>
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昨日開催されたオトノハ朝市で、阿佐ヶ谷住宅の水仙の球根を頂いてきました。
思った以上に沢山あってビックリ。球根の植え替え時期としてはまだ時期尚早の様ですが、そのままでいたら確実に途絶えてしまう訳で。丁寧に丁寧に掘り起こされた球根を半分は鉢植えに植え替え、半分は日陰干しにして、次の植え替え時期を待ってみようと思います。

「これネギ?」「ニラじゃない?」
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風でヨレヨレになってしまいましたが、もう花の終わった球根は葉の栄養分を吸って次に咲くためのエネルギーを蓄える期間に入るそうなのでこのまま見守ろうと思います。また咲いてくれたらいいなあ。
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年末から作りためて放置状態だった版をようやく刷り始めた。とりあえず新たなシリーズを2種類。
久しぶりの作業だったり、いつもと違う手法を試みたりしたせいで、ちょっと手こずり中である。版の耐久性とインクの乾きにハラハラしながらも、頭はフル回転で次の手を考え、後はひたすら感覚的に手を動かす。そういう作業は、やっぱり良い。失敗するかもしれないけれど、まあそれでも良い。あ、良くはないか。でも、つくづく私は「版」を作って「刷る」という行程が一番好きらしい。


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それと有難い事にリクエストを頂いて、年末に刷っていた猫の紙版画はがきを札幌のCONTEXT分室さんに先週納品しました。楳煤墨それぞれ1種類ずつですが、なかなか可愛く刷れました。お店でもご好評頂いている様で嬉しいです。お近くにお越しの際はぜひお手に取ってみて下さいね。
今はまだ他で手一杯ですが、そのうち猫モチーフもまたゆっくり刷りたいなあ。
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大学に入学して確か最初の授業で、他の先生陣とは明らかに違った先生の自己紹介を見た瞬間から、私は「この先生しかいない」と思った。その後、様々な課題をこなし、作品を制作して行く上で、私はほぼ先生の言葉しか聞き入れなかった。


卒業制作の担当教授をして頂いた時、私は迷いつつも「もう完成!」と思ったものを先生に見て頂いた。先生の研究室の前の廊下にズラーッと並べたそれを見た先生は一言「まさかこれで完成じゃないよね?」とおっしゃった。私は「...はい(もちろんです、という顔で)」と答えた。たぶん先生には全てバレていただろう。


大学を卒業して初の個展をやった時、初日の朝一番に駆けつけて下さった先生に「どの作品が一番気に入ってる?」と訊ねられ、ギャラリーの端っこのほぼ死角の様な場所に展示していた作品を差した。「悲しい手紙」という作品。先生はそれを見て「うん。じゃあこれを売って下さい」とおっしゃった。「作品を作る」という事だけで精一杯で、まだ「作品を売る」という発想が微塵も無く、動揺してしまった私がつい「いいです。差しあげます」と答えると先生は「坂本くん、作品というのはどんなものでも絶対にあげてはダメだよ。例え1円でもお金を貰いなさい」とおっしゃった。そして「え、いや、でも」とウダウダしている私に代わり、その作品に値段もつけて下さった。その後、やって来た人達に何点かの作品が売れて行ったのだが、もちろん先生が付けてくれたものが他の作品の価格設定の基準となり、作品が売れる度に私がオタオタせずに済んだのは言うまでもない。先生は全てをわかっておられたのだと後で気付いた。


結婚のお知らせをしたら、先生らしい言葉で埋め尽くされた素晴らしいお祝いのFAXが届いた。相手が少々怪しい分野の雑誌編集者であるという事も諸手を上げて喜んで下さっている内容だった。勿体なくてここに書く事など出来ないが、当時私のFAXは感熱紙でいずれ消えてしまっては大変だと思い、コピーしていまでも大切に取ってある。


結婚後すぐに夫婦で初めて先生のご自宅にお招き頂いた時、まだお子さんも小さかったのに、とても静かな家だった事に驚いた。大人の時間がしっかり確保されていて、こちらに気をつかわせないご夫妻の配慮が素晴らしく(しかもそれが全然いやらしくない)、閑静な住宅街の中でそこだけ時間の流れ方が独特で、不思議な居心地の良さだった。で、まんまと長居をして終電を逃すという大失態をやらかした我々を、なんと先生は横浜から車で我が家(当時は早稲田在住)まで送って下さった。もう本当に申し訳無く恐縮してしまったが、中島みゆきをBGMに深夜の高速をぶっ飛ばすのがとても楽しそうにも見えたので、お言葉に甘えてしまった。


もう10年以上前、夫婦で1ヶ月間欧州旅行を敢行した際、たまたまパリ留学中であった先生とお会いした。オペラ座前で待ち合わせて、中華料理をご馳走になった。お料理が得意な先生には日本から乾物を数種類お土産にした。美味しい中華を楽しんでいたら、たまたま同じ店内に居合わせた日本人団体ツアー客がビンゴゲームで大騒ぎを始めた。先生が「おいおい勘弁してくれよ...」とボソッと呟いた姿は、今でもたまに苦笑まじりで思い出す光景だ。異国に暮らす日本人と、嵐の様にやって来て去って行くだけの日本人(自分も含め)の事をあんなに考えた旅もない。


帰国後はパリと東京で何通かメールのやり取りをした。
先生は沢山の回文を送って下さった。大傑作から本当にもうどうしようもないものまで本当に沢山の。お返しにちょうど発売になったばかりだった村上春樹×友沢ミミヨの回文の本『またたび浴びたタマ』をパリに送った。


数年前に同級生の清水直子さんとご自宅にお邪魔した時は、清志郎が亡くなった後で、先生が持っていたRCのDVD鑑賞会をした。始まる前に私がのんびり1階のトイレに行っていたら「坂本くん!早く早く!」と2階から先生に急かされた。その時の待ちきれないといった先生の姿が失礼ながら大変可愛らしかった。


私にちょっとした事件が起こり、バタバタと慌てて先生にメールしてしまった時、すぐにお電話を下さって「まず落ち着きなさい」とおっしゃった。冷水を浴びた様だった。でもその時の私が一番必要な言葉だった。


ある日Twitterで先生からのフォロー通知が来て膝から崩れ落ちそうになった。(mixiでマイミク申請された相手が先生だった時も同じく。けれどお互いmixiは疎遠になっていた)ああもう、どうしようもない下らない事がつぶやけないじゃないか。過去ツイートを遡られたりしたら「どうしようもないなあ坂本くん...」と呆れられるに違いない。全くなんという事をしてくれるのか、と嫌な汗がドドーッと出たが、結局その後先生とも相当にどうしようもない下らないやり取りばかりしていた。けれどそれはやはりどうしようもなく楽しかった。


私が紙版画を始めた事で「一度作品を見せて」と声をかけて下さって、2人で銀座デートをした。あえてデートというのは、目的の1つに先生がお好きだった都路里の「パフェ」を食べるというのがあったから。まるで高校生カップルみたいですねえ、と私がふざけて言ったら、最近の高校生はもっとマシなもの食べてるよと返された。その前にタイ料理屋でランチバイキングをご馳走になった。私も大概早食いなのだが、先生はあっという間に2回戦目に突入し、最後にデザートの小さいケーキも数種類持って来た。「先生、この後ツジリ...というか糖分大丈夫ですか...」という私の言葉に「まあ、ふふふ」と笑って答え、もちろんその後パフェもしっかり頂いた。


都路里に向かう途中、大丸のデパ地下を通りがかったら、世の中はちょうどホワイトデーの頃で、さして美味しくもなさそうなマカロンの店の前に男性らが長蛇の列を作っていた。横を通り過ぎながら「ありゃー、こりゃ大変ですね」と私が吐き捨てる様に言うと「そういう事は小さな声で言うものだよ」と先生に嗜められた。


都路里で念願のパフェを食べながら、作品ファイルを見て頂いた。緊張していたので、パフェの味は覚えていないが、先生は凄く面白いと言って下さって、その足で先生のお知り合いのギャラリーへ連れて行っても下さった。結果的に私の力不足故、そこで即どうこうという事にはならなかったが、先生は「一度本気でとことんまで自分の作品に向き合うという事をした方がいいですよ」とおっしゃった。それは卒業制作の途中経過を見て頂いた時に言われた「まさかこれで完成じゃないよね?」という言葉と私の中で繋がって、先生は私に足りないものを再三に渡ってずっと指摘して下さっているのだと思った。





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もしかしたら伝わり辛いかもしれませんが、これは全て私の自慢話です。誰に、何処に向けてという訳ではないですが、ほんの些細な事も含めたらまだまだ沢山あります。
私にとって神山明先生という存在は、その出逢いの瞬間からずっと特別すぎるものでした。
作品制作、人生においても、私の指針で憧れでしたし、作品を作る時は「これを先生が見たら何とおっしゃるだろうか」という考えが常にありました。
今、もう実際に見て頂く事が出来なくなってしまったという事に、正直途方にくれています。いい歳をして何を甘えた事を、と自分でも思いますが。
けれど、これからもこの「先生が見たら何とおっしゃるだろうか」は私の指針であり続けるのです。先生の「まさかこれで完成じゃないよね?」という言葉と共に。
そしてそういう「師」が、いつも心の中にあるという事は、やはりとてつもない幸運で、大袈裟ではなく生きて行くための力となるのだと思うのです。世の中にはそんな存在が1人もいない人も沢山いる、と夕べ家人に言われましたが、本当に私は何と恵まれているのだろうかと改めて思います。

昨日は同級生らと卒業ぶりに母校を訪れ、神山先生の研究室に伺いました。20年近く時間が経過した校舎は大分古びていて、学生の雰囲気や、周囲の景色も様変わりしていましたが、研究室は当時のままで、色んな事を思い出しました。我々が大学を去った後も、先生は長い事、多くの学生達の師となり、言葉や作品でもってその指針となって来られたのだという事を思いました。
飾られていた先生のお写真の前で、皆でしばし語らって、懐かしい学食で値段を気にする事なく好きなものを食べ、また語らって、他学部の校舎に展示されている先生の作品を見て、学校を後にしました。ちょっとした思い出ツアーになってしまい、先生に「君たち何しに来たの」と呆れられそうでしたが、先生のゼミ生であるなしに関わらず、先生を慕い、先生の作品が好きだった4人でした。


まさか直接伝えられなくなるだなんて思いもしませんでした。
神山先生、今まで本当に有り難うございました。
淋しく心細いです。
けれど、不出来ながらも先生の教え子であったという事は私の誇りです。
どうか天国でも素晴らしい作品を作り続けてください。
いつか見に行きます。
そしてまたパフェを食べましょう。
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明けましておめでとうございます。
今年は何年ぶりかの東京での年越しでありました。上京して20年以上になりますが、東京で正月を迎えたのは過去に2〜3度程度で、さて何をしたものかーと思っていたものの、やる事やって抜くとこ抜いて、気ままな感じがなかなか良いもんですね。

昨年は沢山の嬉しい出逢いがあり、公私ともに色んな方々に助けて頂いた1年でした。改めまして有り難うございました。
出逢いと言えば、昨年6月に我が家の仲間入りをした煤墨もすくすく成長して8ヶ月歳、煤に至っては楳よりも重たいくらいです。食欲低下が続いている楳も眼光の鋭さは健在で、今月末には我が家にやって来て4周年(同時に推定5歳の誕生日)を迎えます。人間2人と猫3匹、無事に新しい年を迎えられた事にも本当に感謝。この3匹のお陰で繋がったご縁も数知れずです。

主に公私の私に振り回されて終わった感のある昨年でしたが、今年はもっと精力的に作品を作ろうと思います。とはいえもっと頭を使いたい。効率をもっと上げたいが、そればかりではペラいものになる。悩みどころです。悩みつつ頑張ります。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。



楳日向ぼっこ初め。(初めて既製品の犬用セーター買って袖を付けたしてみました。)
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年末、突如首輪を拒否しなくなった墨と、最初から首輪されてる事に気付いてなさそうな煤による猫文字「X」。
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我が家のお節とお雑煮。栗きんとん、黒豆、筑前煮、ゴボウ胡麻煮、柚大根、オトノハのくるみの飴かけ以外は既製品。ま、2人にはこの量で十分ですね。
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さあ、今日と明日だけは寝正月するぞー。(すでに目方はキケン領域だが)
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昨日バイト先の同僚の女性から、
「そうだ、坂本さん猫を飼われていましたよね。実は子供達(小学生2人)が犬を飼いたいって前々からずっと言っていてどうしたものかと。」
という相談を受けた。たまたまペットショップで子犬を見てしまった事で「おねだり」が更にヒートアップしているらしい。クリスマス前でもあるしね。
ご自宅は小型犬のみ飼う事が許されたマンションだそうなのだが、彼女自身経験がないのか、室内で動物とどうやって暮らしたらいいのかわからない、出来れば子供達を何とか説得して諦めさせたいとの事だった。
最初は「毎日散歩大変だよ〜と脅してみては?」とかテキトーに答えていたのだが、色々話しているうちに実家で私が小学生から大学1年まで(正確には上京してしまったので高校まで)飼っていた犬の話になり、自分がいかに最低の飼い主であったか、今その事を心底後悔していて、何かにつけ思い出すが、しかしもう取り返しがつくものではないので、これはずっと私が背負って行かねばならない罪だと思っている、というバイトの昼休み時間の茶うけ話にするにはちと重たすぎる話になってしまった(反省)。

しかし思い起こせば、それも楳という猫が我が家にやって来てからの様に思う。それまでは子供ならではの残酷さを時折「あーあ」と思い出す事はあっても、どこか目を背けていたところがあった。
行き倒れ寸前の楳を保護した時も、「弱り果てた子猫(だと思っていた)を保護した!」という行為に興奮しているばかりで、飛び込んだ動物病院の医師に「そのままになっていたら死んでましたね。でもまだ油断出来ませんよ。」と言われた時、「え!勢いで保護したのはいいが、これから死んじゃうかもしれないのか!」と衝撃を受けた。もしも死んでしまったらその後どうしたらいいのか全然わからない。...というかそれはとても困る!展覧会の搬入を1週間後に控えて凄く困る!家人にも迷惑がかかる!わー!大変だー!と事の重大さに気がついた。今、ガスヒーターの前で弱々しく丸まっているのは消え入りそうな命で、ボロボロのぬいぐるみではないのだ(当たり前)と、ようやく妙な興奮から目が覚めたのだった。勢いばかりで行動する質で、実情把握が遅すぎる己に心底呆れたがしかし呆れている暇は無かった。

幸い楳は医師の的確な治療と、これでもかと実践した「強制給ハイカロリー餌」で何とか生き延び、「楳」という読みにくい名を授けられ今に至る。その後もずっと病と戦ってばかりの約4年の日々を送っているが、お陰で私もずっと命というものを見つめ続ける事になった。「強制給命との対峙」だ。けれどそのせいで、あの、今は亡き実家の犬の事を度々思い出す様になった。楳を大事にすればするほど思い出して後悔し、心で詫びた。もしかしたらそれを教えるために、私の元へ楳がやって来たのかと思うほどだ。

だからというか、先の同僚女性の子供らに「最後まで責任を取れないなら飼うべきではない」などとは言えなかった。「どの口が言う!」だからだ。
「ペットショップで買うのは凄く高いからって言ったら、保健所ならタダで貰えるって子供らもよく知っていて(苦笑)でも保健所の犬って人間不信そうじゃないですか。なかなか慣れなそうだし...」という彼女の言葉にも、そりゃあ色々思う事はあったけれど、ひとまず「ペットを飼う前の心構えをまとめた良いサイトがいくつもあるので、それをじっくり読ませてみては」と答えた。私はそこで熱弁を振るう立場にはないし、そこで熱弁を振るいまくる「度を超した動物愛の人」でもない。

けれど、ごくごく個人的に思う事は、動物を飼うタイミングというのは、動物の方から突然やって来るものだ、という事。それはもう自分の心構えや環境が整っていようがいまいが、そんな事は無視していきなりやってくる。そして有無を言わさずその命をポーンと預けられ、訳もわからずオタオタしたまま、その命のために毎日必死になる。ならざるを得ない。言う事を聞かないからとか、飽きたからとかで途中放棄なんて出来ない。気付いた時には自分の生活の一部になっている。それは嬉しい事も、悲しい事も丸ごとひっくるめて。まあ、これはあくまで「私の場合」だけれども。

TwitterのTLに流れてくる「里親募集」ツイートの中に、時折100%飼い主の事情で何年も共に暮らした動物を捨てるとか、保健所に連れて行くだとかいうのを見かねて、代理で里親募集している方を見かけるが、あれは根本的に理解に苦しむけれど、一周回って哀れに思えてくる。例えば被災地で、それこそ愛情を注ぎ、注がれし合って生きてきた飼い主と動物が離れ離れを強いられ、そのせいで動物が飢えて死んでしまうという状況を想像したら、自分の行為をどう思うのか。(いや、どうも思わないから出来る所行か)
先の犬を飼いたがっている子供らにも、そういうサイトを見せてあげるべきだったか。(けれどその時は感情移入して涙を流しても、ケロッと残酷な事をするのが子供でもあるしな)...難しい。


そういえば少し前に、やはり別の同僚女性から「一緒に暮らしている彼が保護した子犬」の相談を受けた。
既に先住犬(こちらも保護した)がいるので、彼は里親を探す考えで、今は彼の実家に子犬を預けているのだが、先日その子犬に会いに行ったら最後、どーしても飼いたくて仕方がなくなってしまった、かわいい子犬の事が頭を離れない、けれど先住との相性もあると思うし...どう思います?と彼女。写真も見せてくれた。既に親バカ全開であった。私はニヤニヤ笑って「それ、次に○○さんに会う時には、たぶん飼ってますねー」と答えた。明後日久しぶりに彼女に会うので予言(?)が的中したか聞くのが楽しみである。



※写真は昨日の楳。この目に見つめられたら全てを見透かされていそうで、真摯に向き合わねばっていう気にもなる。
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昨年末ご好評頂いた楳カレンダー、その2013年版がようやく本日全組み立て行程を終え完成しました!限定280部!にゃー!でございます!←計算などではなく後づけです当然。
2012年版より100部増やしただけなのですが、家内制手工業作業に異様に時間がかかってしまい、ヘロッヘロになりつつ何とか無事に終わってようやくホッとしています。

最初に載せたのは出来たてパッケージですが、いつもの楳版画とは少ーしだけ雰囲気が違うのがおわかり頂けるでしょうか。実はこれ、保護した頃の楳なのです。今の楳よりも随分小さくて、毛もボサボサ、鼻の頭も毛が剥げて傷だらけでした。サクッと決まった前回とは異なり、パッケージには色々と悩みに悩みましたが、最終的にはこの楳に決まりました。

...と今日のところは「出来たぞー!」というお知らせでした。ヘロッヘロですが嬉しくてつい。
肝心のカレンダーの中身や、価格、お取り扱い予定のお店、通販に関しては近日中にお知らせします。またもしもお取り扱い頂けそうなお店がありましたらご連絡お待ちしております。

よろしくお願いしますすすす!
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今年もこの季節がやってきました。
前回ご好評頂いた楳カレンダーの2013年版、絶賛チマチマ作業中です。
色々思う所があり、制作をギリギリまで迷いましたが、「また販売しますか?」という有難いお言葉をちょくちょく頂いて、今年も制作する事を決めました。価格や体裁、お取り扱い頂けるお店に関しては、また追々お知らせいたします。
それと、今回は部数も少しだけ増やしてみたので、このブログ上でも通販(...と言ってもおそらく超アナログ方式で)で販売してみようかと思っています。1点ものの版画の通販というのは、やはり難しいと考えているのですが、印刷物ならば1つ1つの違いも殆ど無さそうなので。それも詳細決まりしだいお知らせ出来ればと。あ、楳カレンダーですが、今回は煤墨もチラッと登場しますよ。

墨に邪魔されつつ、
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煤に邪魔されつつ、
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組み立て作業頑張ります。
どうぞよろしくお願いします。



オマケに楳と墨がこの近さで昼寝していて驚いた!の写真。
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ま、相変わらずシャー&猫パンチ食らわせていますが、めげないズ2匹のしつこさに、さすがの楳も根負けしているみたい。
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目の前に迫った企画展と毎年恒例のアレのために、殆どノープランながらとにかく刷って刷って刷っております。
刷り作業中は、インクにまみれてたいそうキケンなので、思い切って2階の2つの部屋をぶち抜いた空間に猫ら3匹を一緒に隔離する事にした。

これまで刷り作業時は、煤墨には1階のケージに入ってもらっていたものの、2匹もグングン大きくなり、狭いケージに長時間入れっぱなしというのもさすがに不憫になってきた。今後ずっと楳と隔離し続ける訳にもいかないし...て、そもそも人間の目が届かない時、楳と2匹の生活空間をなるべく分けてきたのは、楳と2匹の仲が良くならないからという事以前に、煤墨が楳のトイレを使ってしまうという問題があったからだった。自分ら専用のトイレがあるにも関わらず、煤と墨はそこにトイレ砂があれば実に大らかに迷い無く「なさる」のだ。同じ様に大らかな気質ならば良かったけれど、普通よりやや神経質な楳は他の猫が用を済ませたトイレでは絶対に「なさってくれない」ので、その度にトイレ難猫になってしまうのだ。(これまでもトイレの一切合切を大掃除しなければならない事態もあり、それはそれは大事であった)
んが、この隔離生活を継続して、ひたすら楳トイレを死守し続ける事に、人間だってストレスと限界を感じ始め(というのは、やはり私が大らか、いや大雑把な性格だからなのだが)、それが私の中でトイレ一斉清掃におけるストレスをついに上回ったので、というかもう後は野となれ山となれっ!トイレ掃除くらい何度でもやるから良きに計らえーっ!と半ば投げやりな気持ちで無理矢理決行してしまった。楳には大変申し訳無かったけれど。

で、昨日と今日の2日間、それぞれ5〜6時間もの間3匹は同じフロアで過ごしたのだけれど、昼飯後の昼寝タイムだったのも幸いして、まあ穏便に(というか、それぞれバラバラの場所でずっと昼寝していた)過ごしてくれたっぽい。楳トイレもたぶんセーフ。これ以上長引くと厳しそうだけれど、でもまあ今後の刷り作業もこの調子で何とかなりそうだ。(楳にはひたすら申し訳ないが)

お陰様で昨日はお馴染みの器モチーフのはがきを刷って、今日は壁にも展示出来そうな少し大きめのもの(冒頭の画像)と、久々に楳モチーフ、それからお試しで煤墨モチーフを刷る事が出来た。
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楳は迷いつつも保護服着用のもの。まあ、楳版画は私にとって「記録」みたいなものであるから作ってみる事にした。

こちらお試し煤墨。
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煤墨は本当に難しくて、というのはあまりにも楳が版画向きの色と柄だったからなんだけれど、特に煤のどんどん鮮明になってきたシマ模様をどう表現したものか、版にも刷りにも大分時間がかかってしまった。結果、まだまだ工夫しないとダメだなーという感じ。



版画作業に集中していたら首も方もガチガチだけれど、こんな風に過ごすのも本当に久しぶりで、何とも楽しかった。あまりにもノープランで刷り始めているので、この後どーするのか、これから決めるのだけれど(大雑把!!!!)。
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