カテゴリ:◎楳猫( 89 )

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今日は楳の命日でした。
楳が亡くなってからほどなくして、私の東京〜青森行ったり来たり生活が始まり、つまりはこの生活も3年目。もしこれが半年〜1年後にズレていたら私は正気を保っていられただろうか、とよく考えます。楳は色んなことを加味して、一番のタイミングを選んでくれたのかもしれないと。我ながら親馬鹿ならぬ飼い主馬鹿だなあとは思いつつも、しかし猫とは、人の想像を超えて察しの良いいきものであると思うのです。

不思議なことに、楳亡き後、両親の世話をしている様々な場面で、楳との日々に共通する出来事がよく起こります。「ああ、あの時楳はこんな気持ちだったのかもしれない」「こんな辛い状態だったのかもしれない」と今更気づいてハッとするのです。
言葉(ここでは人間の)を持たない楳は、泣きわめくことも、取り乱すこともなく、苦しいと訴えたり、悪態をついたり、明日を悲観することもありませんでした。まあ猫だから当たり前かもしれませんが、ただじっと静かにその日まで生きていて、全てを受容しているかのようにも見えました。そんな楳の姿を思い返すと、いかに人間が弱いいきものであるかを痛感する訳ですが、と同時に楳はこれから起こる様々な出来事に私が当たり負けしないように予め練習をさせてくれたのかもしれないなと感じます。もしかしたらそのために私の目の前に現れたのかもしれないとも。

亡くなってもなお、こんな風に勝手に言われて、頼られていることを楳は呆れているかもしれませんが、3年経ってもやはり私にとって楳という存在はどうにもこうにも大きくて、そして楳との出逢いに改めて感謝せずにはおれません。

ありがとう楳。
お陰で私はまだまだ頑張れる。
だからそこで見ていてね。
そしてたまには夢で会いに来てね。



最初の画像はハルカゼ舎のひめくりカレンダー。今年も心のこもったひとことをありがとう。
今日という日に「退屈をあげる」第3刷の準備の準備もスタートしました。完成はまだ先になりますが頑張ります。どうぞよろしく。












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大変遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年11月から色んなことがありすぎて、新年早々謎の体調不良により寝込みました。
寄る年波にはなんとやら、とは思いたくはないものの、あまりにも怒濤の日々に溜まったものが吐き出された模様。
寝込んだ日は奇しくも楳が亡くなって2年目の命日で「ちゃんと休め。そしてちゃんと働け。」と生前の様に飴と鞭を貰った気分になりました。そんな訳で墓参りにも行かれませんでしたが、去年は実家で1人その日を悶々と過ごしていたので、今年は家人や煤墨らと楳の話をしながら静かに(というか安静に、時に熱にうなされながら)過ごす事が出来て良かったなと思います。※最初の画像は熱にうなされる私を見守る煤墨姉妹。

今年は少し落ち着いて制作に打ち込めるかなあと思っていましたが、青森~東京行ったり来たり生活は続きます。この生活も2年目に突入。これはもう殆どトライアスロンであり、しかもゴール未定という状況で、本当に「ちゃんと休んで、ちゃんと働く」を念頭に、気を引き締めねばと肝に銘じたしだいです。押忍。

昨年の今頃は『退屈をあげる』の発売に向けて、ひたすら地味作業中だったなあなどと思い出しながら、5年くらいかけて売り続け「いやーまだこんなにある…」と力なく笑いながら在庫の山を見つめる予定でいた本が思いがけず全て巣立っていってくれたこと、里子として迎え入れて下さった皆様に改めて感謝申し上げます。
今年はどんな年になるのか、それも自分次第という事で、ひとつひとつ頑張っていこうと思います。


ところで↓の画像は楳の命日である1/9のハルカゼ舎の日めくりカレンダー。
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店主マセさんの粋なはからいで『退屈をあげる』の中の言葉をアレンジして使ってくれました。有り難う。

ちなみにちょっと怖いかもしれないけれど、一昨年(左上)と去年(左下)のものも大事に取ってあるのです。
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「新しい靴で何処へでも行けそうな日」という言葉に救われて、
「スケジュール帳が動き出す日」という言葉に本の発売に向けて頑張るぞ、と思えたり、その時その時の気持ちにピッタリくる、ホントに不思議な日めくりです。
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漠然と、この日は自宅で、家人と共に猫らを膝に乗せて静かに迎えるのだろうなあと思っていたけれど、
こうして北の地で1人、過ごしている。
私が行かれない代わりに、線香と花を持って家人が楳に会いに行ってくれた写真を見て、
悲しい気持ちと嬉しい気持ち、有難い気持ちで満タンになった。

昼間、田舎のただっ広い平野の真ん中の道を車で走っていたら、それに並走する様に一羽の鳥が飛んでいた。
なかなか距離が縮まらないので、まるで空にはりついているみたいに見えた。
しばし一緒に飛んで(走って)別れた。
あれは楳の鳥だったかもしれない。




楳、我が家にやって来てくれて本当に有難う。
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今日、楳のお骨を中野にある動物霊園に埋葬してきた。

楳の体はもう無くなってしまっていたのだけれど、四角い箱に収められた骨壺とその中の骨に、自分でも思っていた以上に執着していて、この3ヶ月の間、何度も撫でたり、話しかけたり、抱きしめては泣いたりもしていた。
悲しいかな楳を抱っこした時の様に、その箱に体温は感じられないものの、しかし陶器で出来た骨壺とはよく出来たもので、その重みが辛うじて楳の重みを思い出させてくれた。
荼毘にふして、骨壺に収まった楳を連れて家に帰る時もその重みに感謝した。肩にかけたバッグの重みが往路よりあまりにも軽かったなら、私は道中その喪失感に耐え切れなかったのではないかと思う。

四十九日の時点では「埋葬は暖かくなったら」と言いながらも、既に桜の時期も終わろうとしており、家人にも「もういっそ半年目にしちゃおうか」などとグズグズと話したりもしていたのだけれど、ここ最近の体調不良がようやく回復してきた数日前に、突然はたと「今だ、今しかない」と思い至った。このタイミングを逃しては私にとっても楳にとっても絶対にいけない様な気がした。
ちょうど9日は楳の月命日であったし、それまで家で過ごしてもらって、10日である今日、友人知人宅の歴代の猫先輩らが眠る共同塚に、私と家人の手で埋葬してきた。改めて見る楳の骨はとても小さくて細くて、その1つ1つに様々念じながら土にかえした。
多くの動物が眠るその霊園は桜の名所でもあるそうで(残念ながら今年は見られなかったけれど)、他にも沢山の木々が植えられており、これからますます良い季節になっていくだろう。すぐ近くに大きな道路が通っているにも関わらず、静かで穏やかな空気が流れているのも嬉しい。訪れた午前中は清々しい日和で、家人と2人、何かとてもホッとした様な気持ちになって、帰り道はてれてれと駅まで歩いた。

例えばiPhoneで「楳」と打とうとして、一発で漢字変換されなくなった時、私は愕然とした。
2年程前、twitterで「今年1年で1番使用した漢字」というのを調べた時、「楳」は堂々の1位だったのだ。今は亡き恩師に「そんな人いないよ」と失笑されたほどだった。それは私が毎日毎日飽きもせず楳について書いて、考えてきたからだけれど、こうやって私は楳を忘れていくのか、というのを示された様な気がして、寂しさと罪悪感の様なものを感じたりしていた。しかもそれは毎日少しずつ溜まっていき、何処にも吐き出せるものでもなかった。
でも今日、ああ、それは違うんだと思った。全てを言葉には出来ないし、むしろ言葉に出来ない事の方が断然多い。大事なものほど寡黙にならざるをえないのだ。だからやっぱり私の楳への気持ちは変わりようがない。
とはいえ、これからも日々暮らして行く中で、何度も揺り戻されるだろうけれどそれももう仕方がない。これは前向きな諦めの様な気持ちだ。


霊園の事務所前には門番の様な野良がいて、1月に行った際も、そのふてぶてしさ(褒めてます)に悲しみの中、笑わせてもらった。今日もやって来る人全員に撫で回してもらっていた。本人(猫)はその重要な役職に無自覚だろうけれど、私の様に彼に救われた人も少なくないと思う。また会いに行くのが楽しみだ。
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煤墨はすこぶる元気。今月末にはついに1歳になる。最近は一緒に風呂に入るのだ(2匹は蓋の上だけれど)。
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欠伸墨。
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弛緩煤。
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楳、やっぱり有り難う。これからみんなを見守っていておくれね。
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梅の花を買おうと思っていたら、たまたま通りすがりの八百屋で桃の花が売られていたのでちょっと早い雛祭り。楳を保護した後、桃の節句に友人が「楳ちゃんは女の子だから」と桃の花を持って遊びに来てくれた事を思い出す。

昨日は楳の四十九日でありました。
本来はこの日までに埋葬しなければ魂が彷徨ってしまうと聞いたものの、まだ冷たそうな土に返すのも寒がりの楳にフギー!と抗議されそうなので、もう少し暖かい季節にする事にした。予定しているお寺は桜がきれいな場所だそうだし(さらにご近所の先輩猫さん達が眠っているのも心強い)、出来たら桜の季節に。

昨日やっていた刷り作業の途中で、ふと思い立ち楳版を作ってみた。保護服を着ているものとそうでないものと色々迷って結局香箱楳。
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楳が亡くなってからは初めての楳版。しばらく作る気にはならないだろうと思っていたけれど、四十九日という節目に突如作っておこうという気になった。なったはいいけれど、いざ作り始めたらやっぱり涙ボタボタ垂れ流し状態でいやはや参った。でもこれもリハビリのひとつだろうと思う。人によってリハビリ方法は色々あるだろうけれど、私にはこれが良いのかもしれない。

こちら版。版の方が顔がかわいい。
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数日前、1階の日だまりで煤と墨が昼寝をしていた。
楳は1階の窓辺が好きだったけれど、煤墨がやって来てからは最期まで2階暮らしになってしまい、3匹が揃って1階で日向ぼっこする姿はついぞ見られなかったと、それが心残りだったけれど、ああ、ちゃんとここに居るんだなあと思った。
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楳ちゃんに、と美味しそうな伊予柑が届いた。
昨日は楳の月命日で、そんな風に気にかけて頂く事に恐縮しつつも、とても有難いなあと思う。

もう1ヶ月というよりは、どうにかこうにか過ごしてきて、気付いたら1ヶ月経っていた、という感じだ。
恥ずかしながら、1日たりとて涙が出ない日は無い。楳は私の日常だったから、いちいちその喪失感と戦う気は最初からない。もうそれは仕方ない。
特にバイトの帰り道はヨボヨボである。大丈夫だとは思っていても、いつも最寄駅から夜道を走って帰った。玄関のドアを開けて、私を出迎える煤墨の相手もそこそこに(ひどい)、階段を駆け上がり楳を見つけて「よかった、生きてた」と思った。走らなくても、寄り道してもよくなった帰り道は、何だかひどく腑抜けていて淋しく感じてしまう。

風景の中に残像の様な楳の姿が見える瞬間がある。家の中だけでなく、外を歩いていても。元々猫とは幻の様な存在だなあと思ってはいたけれど、楳という猫は生前は「居るのに居ない」みたいだったし、今は「居ないのに居る」みたいで、とても不思議だ。
反面、夢には全く出てこない。元々楳が夢に登場する事は無かったくせに、チラッとでも夢に出てきてくれたらと毎晩念じて床についていたのだけれど、今日「夢に出てこないのは、向こうで元気で楽しくやっていて、忙しくてそれどころじゃないからなんだよ」という話を教えてもらった。そうか、ならばもうこのまま出てこなくてもいい、どうか向こうで楽しくやっていてくれ、と考え改めた。とはいえ、いつか「久しぶりに噛み付いて起こしてやろうか」とかいって出てきてくれたら嬉しいけれど。そんな気まぐれを楽しみに待つ事にする。

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ヨボヨボだけれど、ヨボヨボなりに行きますよ。
振り返ったら、こんな寝相で笑わせてくれる子もいるからね!
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煤に乗っかられているけれど、今日は人間が勝手に決めた楳の誕生日で、つまり4年前に楳を保護した日。
あの日の雨も本当に寒かったけれど、今朝の雪ほどではなかったかなあ。

雪が降る中、はたして飛ぶかもわからない飛行機のために、金沢出張が決まっていた家人は朝早くに家を出た。ここ数日ひどい口内炎と、親知らずが原因らしいこれまたひどい歯茎の炎症と、さらには蕁麻疹(抗生剤の薬疹かも)も出ているという絶不調の家人なのだが、何かにつけてグズグズ泣いてはその都度消化している私と違って、ウワーッと発散できない分、溜め込んだものが一気に吹き出している様子。自分が思っている以上に楳不在が身体に堪えているのだろう。
まあでも、そうやって残された人間2匹と猫2匹、日々を過ごしている。無理に穴を埋める事はせずに。




楳、誕生日おめでとう。
あの日、よくぞうちにやって来てくれた。有り難う。
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12/1
楳を家人に任せてバイト。長い1日だった。自分にはちゃんと鳴いて受け答えするらしい楳にあまり切迫した感じのない家人に拍子抜け。私が過剰すぎるのか、これが男女の差なのか。ひとまず悪化はしていない様だが、依然として食は細く、ペーストゴハンを無理矢理食べてもらう。

12/2
どうか楳に日向ぼっこをさせてあげて下さい、という願いが叶って、日中は凄く良く晴れて、楳も日光浴を楽しんでいた。食欲は戻らないが、歩き方や表情は幾分復調して見える。ので、病院へ行って点滴を売ってもらうのは見送った。まだ口から食べられるうちはなるべくそうしてあげたい。
午後からはグッと寒くなって、布団に潜りっぱなしだったが、たまに出て来てかつお節とカリカリを数粒食べて、水を飲んで、トイレに行ったりしていた。しかし量は相変わらず少ないので、ペーストゴハンを食べてもらう。

12/3 
朝起きたらここ数日では一番自発的にゴハンを食べた。お湯でふやかしたカリカリと、普通のカリカリを交互に。量こそ少なかったけれど凄く嬉しかった。けれどそれ以降食欲がうなぎ上りとはいかず、夜はまたシリンジでゴハン。楳が嫌がっているのを口をあけて食べさせるのがツライ。楳に避けられるのがツライ。それでも夜中に私の布団に入って来てくれるのだけが救い。この日初めて3匹一緒に私の布団の中で寝た。たぶんそんなに長い時間ではなかったと思うけれど、3匹が私を境界線にしてバラバラではあったけれど、凄く凄く幸せだった。

12/4 
朝6時頃、枕元で楳に起こされた。「今からトイレに行くからすぐ片付けて」の意思表示。軟便だったがトイレの中で上手にした。目覚めるなりエンジン全開の煤墨を1階にやって楳を布団に入れてあげる。私の折った膝の裏側に収まる楳が本当に本当にかわいい。山岸凉子の亡くなった飼い猫の影が、ある夜布団に入ってきて、まさかと思って触ってみたら尻尾がまさにその子の「カギ尻尾の形」で、思わず名前を呼んで布団をめくったがもう姿は無かった、というエッセイ漫画があったけれど、あれはなんて悲しい話だったんだろうと今ならわかる。そして私ももしも亡くなったとしてもまた楳に布団に入って来て欲しいと思う。

12/7 
明け方地震で起きて、夕方バイト中にも大きな地震。このまますんなり家に帰れないかもしれないと思ったら人前で取り乱してしまった。大急ぎで帰宅して玄関で出迎えた煤墨を撫でて、二階の楳を見るや抱っこした。しばし嫌がらず抱かせてくれていたのでやはり怖かったんだろうと思う。トイレに2日分のうんちがしてあった。今日出なかったら明日病院に下剤を貰いに行くつもりだったので良かった。お腹のスペースが空いたからかほんの少しだけれど自分でカリカリを食べたが、まだまだ少量なので引き続き強制給餌。ペーストゴハンに教えて頂いたヤギミルクの粉末を混ぜたものを朝晩、さらにチューブタイプの栄養剤(口の中に塗って吐き出せないもの)もあげ始めて3日、随分顔つきが力強くなって来た気がする。が、全然安心は出来ない。頑張って欲しい。

12/12 
一進一退というか、楳の食欲はやはりあまり多くは無い。ので日に2回強制給餌+高栄養剤。楳に栄養を与えようとはじめたヤギミルクや高栄養剤だが、気のせいか腫瘍の大きさがここに来てどんどん大きくなっている気がする。とにかく楳に食べてもらおうとする事が、理不尽にも腫瘍に栄養を送っているみたい。ブリタのカートリッジを交換して次の交換日を設定したり、歯医者の予約を取ったり、来月のバイトのシフト希望を出したり、色んな先々の予定を立てねばならない時、この頃に楳は居るんだろうか、と常に思う。

12/16 
依然として食は進まない。一昨日は食べさせ過ぎて深夜にリバースさせてしまった。なので在宅出来る日は少量に分けて回数を増やす事に。昨日は寒い冬の雨で楳を保護した日みたいだった。楳も保護した時くらいに痩せて来た。でも明け方に私の布団には入ってくるのが、本当にかわいくて仕方ない。さっき日向で保護服を着替えさせて、久しぶりにブラッシングしてあげたけれど、ガリガリすぎてブラシをかけるのも難しくてボロボロ泣いた。以前ならばうっすらと喉を振動させていた楳だったけれど最近は全く聴こえない。せめてずっと晴れの暖かい日が続きます様に。

12/30 二週間近く何も書いていなかった。楳の調子は変わらず。腫瘍は大きくなってきている。少しだけにおいもある。カサブタの中はどうなっているんだろう。長時間家を空けるのが不安なので、昨夜は家で忘年会を開いた。保護後、一時は里親を探していた楳を「うちの子にしよう」と決めた際の名付け親で、帰省時に楳を数日間預かってくれた事もある直ちゃんや、楳に会った事のある友人らに会っておいて貰いたかった。
最近の楳はガリガリにやせ細ってしまっているのに、やけに美人に見える。「親ばか」というのを抜きにしても凄くきれいだなと思う。ドラマ「カーネーション」の終盤、死期が近づいた糸子が孫に「最近おばあちゃんきれいになったんじゃない?好きな人でも出来たの?」と言われる場面を思い出した。糸子は笑って誤摩化すだけだが、自分はその理由を知っている。目に映るもの全てが美しく見え出すとも語っていた。楳の目にも全てがそう映ってくれていたらと願う。明日はようやく大晦日でこの分だと何とか年を越えられそうだ。既に余命宣告期日を2ヶ月以上過ぎている。

1/4
新年初バイト。無事楳も年を越せた。さすがに今の状態の楳を移動させられないし、かといってキャットシッターに頼める状態でもないので、両親には申し訳なかったが何年ぶりかの東京での年越し。これも母の検査結果がひとまず安心出来るものだったお陰だ。余命宣告時は頑張っても年越しは無理だと思っていたので本当に良かった。しかし保護服を脱がせてみたら、腫瘍部分に当てているシートに血がついていた。ずっと一番大きな腫瘍を覆っていた見事なカサブタがボロリと取れてむき出しになったせいだろう。気がつかず可哀相な事をしてしまった。まだ自壊はしていない様だが、その時用にと貰っていた薬を塗った。さらに左胸に出来たしこりが急激に成長していた。恐ろしい勢い。私は楳をより辛い方へ追いやってるのかもしれない。余命宣告の理由となっていた肺の方は依然として安定している様に見えるが、いったいどっちが楳にとって(と言いながら自分にとっても、だな)幸せなんだろうかとよく考える。呼吸が苦しくなって死ぬという事と、腫瘍がどんどん大きくなり、数も増えて動く事もままならなくなり、ものが食べられなくなってやせ細って死ぬという事と。特別な治療もしていないのだがら延命治療の是非を問うという訳ではないけれど。夕方帰宅したら、楳がトイレの中でしばしうずくまってしまった。最初はウンコを踏ん張っているのかと思ったが違った。こんな事は初めて。もうそんなに体力が落ちているのかと悲しくなった。

1/5 
今朝はゴハン催促やトイレ掃除、布団に入れてくれという催促で起こされなかった。楳は寝た時と同じ家人の足元で毛布にくるまって寝ていた。夕方、飲み水の前で伏せの姿勢でジッとしている楳の後ろ姿を初めて見て、自ら水も飲めなくなってしまったのかと焦ってシリンジであげた。何だかここ2日、行動が変わってきたと感じる。保護服を着替えさせたらあまりにも骨骨しくて、それは保護当時かそれ以上の痩せ方で、もうどうしていいのかわからない。泣いている場合じゃないけれどシリンジでゴハンをあげながら泣けて泣けて仕方が無い。ペーストゴハンはそこそこ食べていても、どんどん痩せて行く。もう一度点滴を打ちに病院へ行くべきか。迷う。

1/7
腫瘍の一番大きなものの一部が自壊を始めた。昨日あたりから少し生臭いにおいがしていて、口臭かと思っていたけれど違った様だ。これがいずれ「堪え難いにおい」になっていくのか。それでもペーストゴハンはシリンジでよく食べた。ただ食後水を飲もうとして器の前でヘナヘナと伏せの姿勢をしたまま「疲れた」という風に器の端に顎を乗せて動けなくなっていた。こんな楳は初めて見た。慌てて泣きながらシリンジで水をあげた。楳は元々自分の反対側の器の縁を使ってでないと水を飲めない変わった猫なので(しかもそれだとジャブジャブ飲む事が出来ない)、余計に疲れてしまうのかもしれない。どこまでも楳は楳だ。夕方になると少し呼吸が荒くなった様な気がした。筋肉も体力も落ちているだろうから、何をするにも疲れるだろう。楳との別れが日に日に近づいているのがわかる。以前twitterで見かけた「猫は自分の未来を悲観しない」という言葉だけが支えになっている。楳をとにかくなるべく楽に送ってあげなければ。頑張らなければ。

1/8
朝、楳が呼吸困難になった。初めて口でハッハッと苦しそうに呼吸していた。しばらくして落ち着いて、いつもの様に鼻呼吸になったけれど、余命宣告された時に医師に言われた最終的に陥るだろう症状そのものだったので、家人を叩き起こし、ひたすら名前を呼び、ゴリゴリした背中を必死で撫でさすった。この1時間前、久しぶりに楳が布団に入れてくれと枕元にやって来て、私の鼻にピタピタと鼻をすり寄せ目が覚めた。そんな事は久しぶりで(昨日ももうこのまま楳が布団に入ってきてくれる事は無いのかもと思っていた)凄く嬉しかった。小1時間、布団の中でモゾモゾしていて、這い出たと思ったら呼吸がおかしくなっていた。30分程で小刻みながら落ちついた呼吸になったが、立ち上がったりせずぐったりしていた。
10時半、単身病院へ。事前に電話で確認して自宅で出来る栄養剤の点滴を貰い、そのやり方を教えてもらった。医師に今朝の楳の症状を説明してたらつい泣いてしまった。
帰宅して即点滴。初めてにしてはまあまあ上手く出来たと思う。以前ならば考えられないが楳は全くの無抵抗だった。針を刺すのにつまんだ背中の皮膚がもう殆ど脂肪が無くなっていて、医師に言われた様に皮膚を突き破らないよう慎重に角度を決めた。点滴後、すぐにトイレでオシッコとウンチを少しした。筋力も衰えているしヨレヨレしているが、まだ自力で歩いている。しかし呼吸は小さく小刻みのまま。また朝の様に口呼吸が始まった時のため、役に立つのかわからないけれど酸素スプレーをネット注文した。間に合うだろうか。明日のバイトはまた休む。面目ないけれどもうどう思われてもいい。楳のために始めたバイトだ。しかし私は「大人」として失格だ。でもいい。はなから失格だ。
夕方、風呂に入っていたら泣けてきた。ずっと覚悟をしてきたつもりだったのに。いやだいやだいやだ。楳と別れたくない。いやだいやだいやだ。もっとずっと一緒にいたい。

1/9 明け方、夢に亡くなったイタコの祖母が出てきた。祖母が夢に出て来る事など滅多に無い(出て来たのは本人が亡くなった日の夜)ので何か意味深だった。腫瘍の自壊と共ににおいが出てきたので、ネットで乳腺腫瘍の消臭に最適と評判のスプレーを開店直後の島忠で購入。点滴道具が煤墨に触られない様、高所にぶら下げるフックも。これで万全。

呼吸は小刻みながら安定している様に見えたので、ご飯を少しでも食べられたらと思いシリンジで2口ほどあげたら、途端に苦しそうにして口呼吸になってしまったので慌ててやめる。もう楳にとって「食べること」=「苦しいこと」になってしまった。苦しい事をされるのが嫌で私と距離を置こうとする。それでも高栄養ジェル剤だけは気に入って進んで舐めてくれる。これが無かったらもう楳は口から栄養を取る事が出来ない。けれど栄養剤の点滴も数打てるわけではない。これで私が出来る事が1つ断たれてしまった。
日向でガリガリの体を久しぶりにブラッシングしたらゴロゴロは聞こえなかったけれど、気持ち良さそうにしていた。元々楳はブラッシングが大嫌いだったけれど、実家近くの百円ショップで買ったブラシだけは不思議なくらい気に入って、ブラシを出しただけで近寄ってくるほどだった。保護服を着替え買って来たスプレーで腫瘍をきれいに拭き取り、カサブタで剥げかかっていた毛をカットした。その後楳がなるべく苦しくない「伏せ」の態勢で抱っこして、2階の少し開けた窓から外の景色を見せてあげた。これまでと同じ様にクンクンと外の匂いを嗅いで、たまたま眼下を通りかかった自転車を見て長い尻尾をバンバンと力強く私の太ももにぶつけた。嬉しい時、興奮した時の楳の合図だった。

22:30 仕事から家人帰宅。トイレ砂の上に乗せてあげたら勢い良くオシッコを済ませた。トイレから自力で出て、暗がりの方へフラフラと歩くと突然ガクリと伏せ苦しみ出した。もんどりうって、撫でさすろうとする私の手を強い力で蹴飛ばした。どこにそんな力があるのかという感じで布団を駆け上がり、必死に口呼吸を繰り返した後、もう何日もひと鳴きもしなかった楳が渾身の力を込めて大きく「アー!」と叫んだ。凄い声だった。泣きわめく私に家人が「落ち着け。俺らが落ち着かないでどうする!」と言ったが無理だった。そのまますうっと、ろうそくの火が消えて行く様に楳は逝ってしまった。家人が帰宅して1時間経っていなかった。
まるで生きているみたいに目を見開いたまま。楳の一番かわいい時の、本当にきれいな顔をしていた。楳が苦しくなりそうで、あまり出来なかった抱っこしたら、ふんわりと柔らかく軽かった。痩せてしまっていたので体重はとても軽くなってはいたけれど、楳の体から魂が抜け出た軽さの様に感じた。それとも神経質でビビリだった楳は、常に体に力を入れて生きていたのかもしれない。生きる事の緊張からようやく解放されたのかもしれない。
まだ温かい楳の胸から脇にかけての腫瘍を改めて拭いてあげた。一人では触るのが難しく家人が帰宅してから2人でやろうと思っていた血の塊や毛玉になってしまっていた部分もカットしてあげた。腫瘍の転移はだいぶ進んでいたけれど、改めて見たらひどかった。これでは何をするにも不自由だっただろう。でもここからさらに転移が進んでもっとひどい状態になって、それに伴って介護の手間もかかり、神経も使う事になっていただろう。その覚悟をずっとしてきた。けれど楳は私たちにこれ以上の苦労をかけない様に駆け足で逝ったんだと思えた。最期もまた楳から与えられてしまった。私は楳の大事なものを奪ってばかりだったのに。
あの日、野良のまま野良らしく野垂れ死にしていたとして、それが可哀相で不幸な事だったとは言えない。むしろ幸せだったかもしれない。衰弱し食べ物を受け付けなくなりやがて餓死するというのは生き物としては全うな逝き方で、脳にモルヒネの様な物質が分泌されて、半ば夢心地で逝くのだというのを聴いた事がある。だから私が「救った」と思っている行為は生き物として「余計な事」だったかもしれない。けれどその真意は絶対に誰にもわからない。


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初七日を迎えた今日、楳が亡くなってから初めて真夜中に目が覚めた。
楳は野良時代に食べる事に困ってばかりだったのだろう、一日中ゴハンを催促して、ひどい時は毎日何ヶ月もの間 1時間おきに起こされた事もあったし、噛み癖が悪かった楳はその起こし方も個性的で、常に本気噛みをするため、私の腕や手や顔には生傷が絶えなかった。ここ数年は正確な腹時計により早朝5時頃痛みをもって起こされ、ゴハンをあげて食べ終えたら共に2度寝するのというのが朝のお決まりだった。今は誰も私の睡眠を妨げる事が無くなり、何年ぶりかの連続睡眠が出来ている。生まれてから食うに困った事のない煤墨の2匹は決してゴハンの催促で私を起こしたりしないのだ。
そしてここ2ヶ月は楳に強く噛みつかれる事もなくなっていて、私の体も随分きれいになり、人目にさらすのを躊躇われる程であった手や腕も嘘みたいに今は無傷だ。でも、ほとほと困り果て悩み、最終的には抗う事を諦め、楳に合わせる事を選んだ万年寝不足の日々が終わりを迎えてしまった事、そして私の体にもう新しい傷が増えないという事が今は寂しくて仕方ない。

真夜中に目覚めて1階に降りたら、昨日降り積もった雪に外灯の光が反射して楳が好きだった窓辺が白く輝いていた。ひどく冷え込んでいたけれど、楳が愛した日向の様だった。今頃は存分に日向ぼっこしてくれているだろうと思った。
布団に戻ると私の枕元に煤か墨がねずみのおもちゃを置き去りにしていた。お供えか、と笑ってまた布団に潜り込む。みんな楳を想っている。あの日から煤墨も明らかにいつもと様子が違う。あまり仲は良くなかったけれど、猫らは猫らで確実に何かを築いていたのだろうと思うと少し救われる。残された者はそれぞれに想いを抱えて進んで、時々揺れ戻されながらも、また進んで行くしかないのだな、たぶん。

楳が幸せだったかどうかはからないながらも1つわかっているのは、楳と出逢って、私が幸せだったという事だけだ。それは揺るぎない事実として、この体に今もうっすらと残る噛み傷の様に一生消える事は無い。もうそれだけで多分十分なのだと思う。



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早いもので楳が亡くなって初七日を迎えました。
写真は亡くなった日の昼間、日向で喉を撫でられて少し気持ち良さそうな楳です。

この半年弱、楳の様子や思った事をブログとは別に記録し続けました。
改めて今読み返すと辛いし、我ながらとても感傷的な文章で、自分勝手で何だかなあと思ったりもしますが、少し補足したり削ったりして(とはいえ恐ろしく長いですが)まとめてみました。どうしたいという事ではなく、これも殆ど私自身のリハビリの様な作業ですが、せっかくなのでここに残そうと思います。


楳の経緯
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2009/1/28 自宅マンション一階の郵便受けの下で、ひどい猫風邪を引きやせ細り動けなくなっているのを保護される。推定1歳(2〜3歳説もあったが、若い方を採用)。
2010/春頃 下腹部にごくごく小さいしこりの様なものを見つける。
2010/7 当時かかっていた病院にしこりの事を申告し摘出手術を予定する(まだ良性か悪性かの判断出来ず)も、当日になり腎臓の数値が悪いと延期。先に腎臓の投薬治療が始まる。
2010/10 病院不信に陥り転院。検査後、即悪性の乳腺腫瘍と診断され、2日後乳腺腫瘍摘出手術。無事全ての腫瘍組織の摘出成功。その後免疫療法を続ける。
2011/10 1年後検診で異常なしという診断を受ける
2011/11 右胸に小さなしこりを見つける。検査後、再発との診断。一番副作用が少ないという抗がん剤治療を始める。
2011/12末 腫瘍には効果があるようだったが、楳の食欲が減退し、体重が激減したため抗がん剤治療を中止する。以降、サプリメントや酵素など免疫療法のみで経過観察。 
2012/1/9 合併症の肺水腫により推定4歳11ヶ月で逝去。
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2012/6/22 
夜、家人と外食して帰宅すると楳が突然嘔吐を繰り返した。途中からは吐くものが無くなり、ウプウプと苦しそうなので、杉並区の持ち回りで夜間診療をしていた荻窪の病院へ初めてタクシーで駆け込む。ここ最近、食べている割には便が少なめだった事を伝え、便秘かもしれないという診断。便を掻き出すという処置をしてもらい少し症状は落ち着いた。胃薬を貰い、もしまた悪くなる様ならかかりつけ医に行く様にと言われる。キャリーバッグを背負って、なかなかタクシーを拾えず深夜人気のない青梅街道で安堵と不安とが入り交じりながらトボトボ歩いた。今後こういう機会が増えるかもしれない。今日はその予行練習なんだと思った。

6/30 
南中野地域猫の会で出逢った煤墨(2ヶ月歳)が我が家にやって来た。まだ体調が今ひとつのせいもあり、最初はボーッと煤墨を見ていた楳だったが、しばらくして我に返ってケージの2匹に向かってシャーフーをかます。

7/14 
楳3ヶ月ごとの乳腺腫瘍の経過検診。予め言われていた夕方のお迎えの時間になっても病院からの連絡が入らず嫌な予感がした。結果は腫瘍は小康状態との事だったが、肺に水が溜まり始めていて余命3ヶ月と言われた。腫瘍がどうこうというより、いずれ呼吸が苦しくなって亡くなるだろうと。今回は余命について訊ねようと思っていたものの、いざ3ヶ月という数字を目の当たりにしてしまったら泣いた。家に帰ってからも一晩中泣いて、翌日は信じられない程瞼が腫れた。

7/22 
「癌に効く」という文句につられてネット購入したミネラル粉末を与え始める。自分でもあまりにも冷静さを欠いていると思う。でも買ってしまった。

7/26 
深夜に右脇のしこりを舐め壊していた。真ん中のしこりがとても大きくなっていてギョッとする。3センチはある。一昨年手術で楳の皮膚の一部と乳腺2つと共に切除されたしこりはまだ1センチにも満たないものだった。あいつが1年以上経ってこんなに悪さをするとは。悔しい。

7/30
煤墨がやって来て1ヶ月。まだ楳とは隔離生活。楳は食欲もあり快腸だけれど、運動をしないので太り気味。煤墨へは相変わらずシャーフー。

8/2
与えていたミネラル、「キエ!」という奇声をあげて吐き出したので、もうあげるのを止める。楳が嫌がる事ばかりしている。ひたすら楳に謝った。

8/4
晩飯後、楳がいる2階に煤墨襲撃。すぐ目の前で煤墨がドタバタ駆け回るのを楳と一緒にジッと見ていた。墨が近寄って来たら、楳を撫でてから墨を撫でて、煤にも同じ様にしていたら、この状況で初めて楳がゴロンと横になった。そのまま煤墨達を見ていて、耳も後ろに下がらず。煤墨があまりに近寄ってきたらシャーしてたけれど。ほんの少しだけ進歩があったかも。家人不在のせいか楳が久々に甘えてきて、一緒にソファで昼寝もした。嬉しい日。

8/5
昼間2階に行ったら保護服を脱いでしまっていた。油断した。しこりを舐め壊し、過去最高に出血してしまったので薬を塗って保護服も着替えさせる。出血で保護服の汚れを防ぐために「おりものシート」を腫瘍にあたる部分に2枚貼付けてみる。血の染みがなかなか落ちないので毎回手洗いするのだけれど、その度いつまでも血の匂いが手からなかなか取れない。

8/21 
数ヶ月前、「猫イラストコンテスト」のチラシを家人が見つけて、ちょうど刷っていた楳版画が規定のハガキサイズでもあったので何となく応募していたのだが、今日大賞を獲ったという電話がきた。驚いた。何と賞金も出る。ひょっとしたら楳はこういう形で少しずつこれまで自分にかかった手術代やら治療費やらを律儀に返そうとしているのかしら、とか思った。私は楳に与えて貰ってばかりで、もう十分なのに。

9/9 
低空飛行ながら安定。食欲もあり、ビオフェルミン効果か便秘も全く無い。呼吸も苦しそうな気配はない。けれど一日中寝てばかり。保護服を脱がれる事なく1週間経過したら、しこりが見事なカサブタになっていた。痒いだろうなあ。

9/14 
余命3ヶ月宣告された2ヶ月目。朝、何となく楳が元気が無い様に感じてしまい、バイト中もずっと不安だった。駅から走って帰宅して2階のドアを開けたらいつもの様にすぐ前まで来てゴハンを待っていた。食欲があるという事、排尿、排便、毛繕いが出来ているという事が、まだ別れの時ではないのだという頼りないながらもすがりつくしかない私の指針となっている。

9/18 
ずっと制作するのを迷いに迷っていたカレンダーを楳と煤墨を登場させたものにしようと決めたはいいけれど、遅々として進まず。特に表紙に悩んでいたが、ふと思い立って保護当時のまだ小さい楳の版を作る事にした。鼻の頭の毛が抜けてしまって、小さい傷やカサブタだらけで細っこかった楳。一番最初の刷りで紙をめくった瞬間、あまりに楳そっくりで笑って、次の瞬間泣いた。記念に何枚か刷っておこうと思ったけれど、辛くなって4枚でやめた。もしかしたらもう楳を刷るという気持ちにはならないかもしれないと思えた。最初軽い気持ちで始めた楳版作りは凄く楽しかったけれど、こんな風にとても辛い。でも納得のいく表紙を刷り終えて少しホッとした。

9/19 
朝、楳が保護服を脱いでしこりを舐め壊した。脱げやすい金太郎スタイルの保護服に問題があるのはわかっているのだが、後もう少しで涼しくなったらTシャツスタイルに戻せる。表面上に目に見えるしこりは3センチ。すぐ横の毛の下にももう少し大きなものがある。呼吸は正常なところを見ると、肺に溜まった水というのはもしかしたら大分快方に向かっているのではと期待するが、やはり元凶がどんどん猛威を振るっているのがわかる。表面上に見えない人間と違って、猫の癌は目に見える形で生々しく現れ「病気というのは、きれいごとではないのだぜ。」と言われている様だ。

9/22 
賞金が届く。我が家にしてみたら大金だ。楳が「これだけあれば葬式代にはなるでしょ」とでも言っているみたいだねと家人に話した。

9/24 
昨夜は位置はバラバラながら3匹とも布団の上で寝た。このところ一番平和な夜だった。楳は呼吸は特に変化は見られない。その分どんどんしこりは大きくなり、フワフワとした美しい楳の白い毛が侵食されて行くのを止められない。3ヶ月前、医師はそのうち肺に水が溜まっていって、最終的には呼吸が苦しくなり亡くなるだろうと話していた。水を抜き取るという処置もあるが危険も伴うと。ペット用高酸素室(人間で言うICU)のレンタル(馬鹿でかくてモーター音が凄まじそうな大がかりな機械)もあるとパンフもくれたが現状使おうという気持ちは無い。呼吸が苦しくて亡くなるのと、腫瘍に苦しんで亡くなるのとではどっちが楽なんだろうと考える。

9/25
目を離した隙に保護服を脱いでしまい久々の大出血。コットンで拭き取り薬を塗ってから、雨ですっかり肌寒くなったのでTシャツスタイルの保護服に戻した。もしかしたら夏を乗り越えられずに、もう着る事は無いかもしれないと思っていたTシャツ姿の楳を見られて、窮屈そうではあるけれど嬉しい。でも春先よりもしこりが大きくなっているので、袖ぐりの余裕が無さそうだ。早く改良版を作らねば。

9/26 
ここ最近、twitterのフォロワーさんらの愛猫たちが立て続けに亡くなる。他人事に思えず一緒に悲しい。夕方ブラッシングしながら楳に「絶対に私が居ない時に一人で逝かないでね」とお願いする。
午前中と夕方、階段に楳を連れていって窓の外の風景を見せて上げた。煤墨らが家にやって来るまでは、1階の縁側の窓から通りの景色を飽きるまで眺めたり、そのまま眠ってしまったりしていた楳だったのに、1階はすっかり煤墨に占領されてしまった。煤墨に視界を邪魔されながらもそれでもやっぱり外を見るのが好きな楳はその場を離れようとはしない。食い入る様に通り過ぎる人や車を見て、空気の匂いを嗅いでいる。窮屈な服を着せられてはいるけれどその表情は以前の楳と何ら変わらない。

9/27 
母からメール。定期検診で引っ掛かり再検査になったと。少し前には異常なしという診断だったのに再発したかもと。昨年末に子宮全摘出し、年明けから半年の抗がん剤治療を経て、ようやく副作用から解放されそうという矢先。担当医からも再発はまずないとまで言われていたのだしきっと大丈夫と話すも、心の何処かで私自身が疑っている。楳を毎日見て私は知っているから。癌がどんなに恐ろしい勢いで命を蝕む病であるかを。一瞬、また長期帰省をする事になるかもと想像したら吐きそうになった。その間に楳にもしもの事があったら、私は看取ってあげられないかもしれない。親と天秤にかけるなんてと思うけれど、そんなの悔やみきれない。またデジャヴだ。楳も術後の一年後健診で異常なしと言われその一週間後に再発した。楳で経験した事がそのまま母で繰り返される。神様、こういう意地悪い演出はもう沢山です。

10/3 
悩んでいたが6日から3泊4日で津軽の法事に行く事にした。楳の状態しだいで直前に決めようと思っていたけれど、今すぐどうこうという事は無いだろうと判断した。母も病をおして親戚らの接待は大変だろうし。法事後予定している母の再検査の結果いかんいよっては、たった3日程度の帰省では済まないだろう。また何往復もする事になるかもしれない。そう考えると本当に恐ろしい。楳を最期まで看てあげられないかもしれない。楳をブラッシングしながら申し訳なくて泣けてくる。余命を訊かされてから泣かない日はないのが、このメソメソは母のメソメソと似ていて本当に嫌になる。母のメソメソメールや電話には明るく励まして、楳にはメソメソしている。嫌になる。

10/6 
今日から3泊4日の帰省。昨晩、腫瘍部分に当てているシートの交換をした際、少し化膿していて、消毒し塗り薬を塗った。このまま3日間放置したら大変なので家人に毎日の消毒を託すが、家人はこの手の作業をした事がないし、楳の腫瘍をここしばらく見ていないからキツイだろう。正直帰省しないで化膿が治癒するまで楳の近くで世話をしたいが、母も心配なので仕方ない。

10/9
クタクタで帰京。家人が消毒作業をしてくれていたお陰で楳の傷口はきれいなカサブタになっていて安心した。場合によっては帰京後すぐに病院コースも考えていたので。ただ少しだけ楳の食欲が落ちているのが気になる。

10/11
楳の食が細い。バイトから帰宅して2階で一緒に食べようと声をかけたら少しだけカリカリを食べ始めた。やっぱり淋しいんだと思う。これからは出来るだけ家人とも2階で一緒にご飯をたべてあげよう。

10/14 
余命宣告の期日。頑張ってる。私のカレンダー作業が立て込んできたので、2階で煤墨のお守りをしてもらう事も増えた。ストレスには違いないけれど、「なにくそー」と少しは生きる張り合いになってくれているのではないだろうかと自分勝手な期待。

10/16
楳カレンダー2013年版が完成して初めての通販スタート。色んな方々の手に届いて、来年一年を共に過ごして頂けるのは本当に嬉しい事で、増刷したのも少しでも沢山の方の元に飛んで行って欲しいと思ったからだけれど、今後楳が亡くなった時、それ以降もカレンダーと一緒に過ごして下さるかどうかはわからない。私の自分勝手な思いにより、嫌な気持ちにさせてしまうかもしれない。そこが不安だし、まだ迷いが晴れないところ。

10/18
母の再検査の結果が出た。再発という事ではないらしいが腫瘍マーカー値が高く医師も慎重に言葉を選んでいた様だ。相変わらず不穏な日々は続く。はっきりしない日々は本当に辛い。夜、楳をブラッシングしていたら、楳が腫瘍付近を舐めようとしたので慌てて阻止して保護服を着せると、怒って手をガブガブと噛まれた。凄く痛くて悲しくなってワンワン泣いた。毛繕いくらい存分にさせてあげたいのに出来ないのが辛い。

10/26 
通販と思いがけずやらせて頂く事になったカレンダー原画展の準備でバタバタしている。久しぶりに楳のしこりをじっくりチェックしたら、一番大きなものは相変わらず直径は3~4センチだけれど、どんどん体の外に出っ張ってきて服の上からでもわかる。簡単には保護服が脱げなくなり見事な分厚いカサブタになっているが、そこに繋がる様にして皮下にボコボコと沢山ある。少し離れた左胸にも1センチ程のしこり。リンパを伝ってどんどん広がっている。楳は凄く歩き辛そう。ソファに飛び乗るのも「えい!」という感じ。見聞きする「自壊」(大きくなった腫瘍が自ら破裂する症状)という段階になってからが正念場だな。においも凄いらしい。心しておかねばならない。

10/29
原画展搬入前日。楳は煤墨に邪魔されつつ割とゆったり昼寝。
煤墨の行動範囲がますます広がって、押し入れ上部の衣裳ボックスの上までひとっ飛びで上れる様になった。そんな煤墨を下からジッと見ていた楳。元々高い場所には上らない猫だったけれど、羨ましそうな顔をしていて切なくなった。

11/5 
あっという間に原画展が終わった。楳カレンダーも予定部数をはるかに超え、在庫を出し切った楳ポストカードもほぼ完売だった。ネット繋がりで初めてお会いする方や、猫好きの方はもちろんそうでない方も、別の場所でチラシや過去作品をたまたま見かけて来て下さった方も沢山いて有難かった。こんな風に突如開催が決まって準備期間も開催日数も短い催しは初めてだったけれど、やれるだけの事をやって悔い無し。時間をかけて綿密に考えて準備した展覧会よりも、何だか凄く良かった気がする。楳も沢山の場所へ飛んで行った。また来年もカレンダー作ってくださいね、というお言葉には曖昧な返答しか出来なかった。

11/10 
少し前から楳の「うんこ落とし」が頻発する様になった。煤墨のせいで落ち着いてトイレで出来ないだけかと思っていたけれど、もしかしたら腫瘍か肺が原因で最後まで踏ん張りきれないのかも。お尻にブラブラさせたままで砂をかいてトイレを出て行こうとする。楳がトイレに入って砂をザッと踏む音がしたら、私も家人もどこに居ようと、たとえ寝ていようと駆けつけ、小だとホッとし大だとティッシュを構えて備えるという日々。でも自分でトイレに行かれるだけ幸せだ。便秘にもならないし幸せだ。

11/11 
楳カレンダーの通販受付を終了。去年よりも早い売れ行きでビックリ。先日の賞金と原画展とカレンダーの売上を一旦楳貯金にした。考えたくはないけれど、楳が亡くなった時にはそこから葬儀のお金を出して、残りは煤墨の健康診断と、煤墨を頂いた里親会と被災地の動物支援に寄付しよう。賞金も色々あり結果的に後味の悪いものになってしまったし、もうあまり手元に置いておく気がしない。

11/13
元気がなく日がな寝てばかりいる。カリカリも食べうんちもしてるから大丈夫だと思うけれど、食べる量は少なくなっていてお尻がゴツゴツしてきた。そのせいか最近はブラッシングしててもすぐ「やめれ」と言われ、その後服を着せようとすると激しく抵抗され噛み付かれる。一番大きな腫瘍は岩の様なカサブタになっていて歩き辛そう。昨日お会いした方に漢方と鍼の良さそうな病院を勧められたけれど、そのためにはまた一から検査する訳でやはり二の足を踏む。楳がどうしたいか聞けたらいいのになあ。夕方新たに楳のカリカリ(2キロ)が届いた。前に注文した時もこれを食べ切れるのだろうかと思ったけれど、もう注文する事すら願掛け。

11/14 
余名宣告の期日から1ヶ月超えた。人間で考えたらどのくらいになるのかなあ。凄いなあ楳。偉い。最近はあまり早朝起こされる事がなくなった。煤墨に先を越されながら、たまに布団に入って来る楳はやっぱり凄くかわいい。

11/16 
抗がん剤治療開始した日から1年。けれど、副作用で楳が食べ物を口にしなくなったため、結局一ヶ月ほどでやめた。週1回の病院通いは楳には大きなストレスもあっただろうし。以降、酵素と天然由来のサプリ2種の免疫療法のみで病院にも検査以外は一度も行っていない。凄いなあと思う。

11/19 
煤墨は無警戒にしょっちゅう仰向けに寝ていて、お腹を撫でられるのも大好き。一方、楳は仰向けに寝ないしお腹も触らせない猫だが、避妊手術後、余計に触られるのを嫌いになった様に思う。それは元々楳が警戒心の強い子だったにせよ、煤墨を手術をして下さった先生が本当に上手だったという事ではないか。今考えると楳の避妊手術はひどいものだった。私も動物の避妊手術が初体験だったせいで当時はわからなかったけれど、今考えるとあまりにも前時代的な処置にゾッとする。仕方ないとはわかっていても、楳が煤墨の様にもっとお腹を触らせてくれる子だったら、小さな異変にも早く気付けたのではないかと考えてしまう。煤墨にはなるべくずっとキレイな体のままでいて欲しいと思ったら泣いてしまい腹毛で拭った。

11/24 
夕方帰宅して楳を抱っこしたら、たまたま指が触れた下腹部に不思議な感触があり、よくよく触ってみたら水がたまっているようなフワフワとしたふくらみを見つける。3~4日前にはなかった様に思う。ここ2日、食欲もやや落ち気味で寝てばかりではあったけれど、寒さのせいかなあと思っていた。夜には水を飲んでかつお節をムシャムシャ食べ、着替えさせようとしたら顎を力強く噛まれたので焦って救急に駆け込むというのは見送った。

11/25 
朝一番で病院へ。これまで通り自転車で行こうか迷ったが、もし腹水だとしたら楳が辛いかもしれないので、今後緊急で行く場合の練習も兼ねてタクシーにした。とはいえ、所持金が少ないという間抜けぶり(楳緊急時の現金をちゃんと置いておこう)。受付は2番手だったけれど、「救命措置中」の動物がいたため結局1時間半待った。待合室でその家族と思われる若い男性が暗い面持ちで携帯画面を見ていて、そのうち奥さんらしき女性が青い顔をして病院に駆け込んできて、2人で手術室のある2階へ上がって行った。楳が入っているキャリーバッグの重みと温度を膝で感じた。
ようやく診察室に呼ばれ、女医さん(まさに楳に余命宣告をした人)が涙目だったのを気にしながら、下腹部のふくらみと腫瘍の現状をお見せした。結果下腹部のふくらみは腹水ではなく腫瘍の一種という診断だった。「では、特に今水を抜くとか、何か出来る事は無いんですね」と訊ねると、そうだと言われ、今後もし食べ物を受け付けなくなった時は、自宅で出来る点滴などを教えてくれるという事だった。私も緊急入院だとか、新しい薬だとか提案されなかった事を心の何処かでホッとしていた。楳の何倍も大きな腫瘍を抱えた他の猫が、抗がん剤治療を始めるという話も聞いた。そこまでして...と楳の辛そうだった時期を思い出すと飼い主のエゴをどうしても感じてしまうけれど、でもどうかその子には薬が合います様に、ゴハンが食べられます様にと思う。
最後に気になって救命措置の事を訊ねたら、残念ながら安楽死を、との事だった。あの独特の重々しさをまとった若いご夫婦、あれはそう遠く無い未来の私の姿だ。安楽死かどうかはわからないけれど、その時が来たらそれぞれ何らかの不調を抱えて待合室にいるであろう動物やその飼い主ですら、全員羨ましく恨めしく思えるかもしれない。それとももうそんなものは目にも入らないだろうか。
帰りもタクシーで最寄り駅まで行き、川沿いの日向の道を家まで歩いた。キャリーバッグのメッシュの小窓に顔を押し付けて楳は景色を見ていた。煤墨が来てから楳の大好きな外の景色や空気を嗅ぐという行為を、結果的に奪ってしまった事を悔いている。それでも楳と2人っきりで歩くというのも久しぶりの事で、とても貴重な時間だった。

11/29 
楳の食欲が相変わらず芳しく無い。このまま少しずつ弱って死んでしまうんだろうか。煤墨を迎え入れた事は、楳が居なくなってしまった時、その存在が少なからず私を支えてくれるだろうという考えが無かったといえば嘘になる。けれど、それがなんと浅はかな考えであったか。3匹の猫との暮らしを始めて思い知る。その猫を失った穴は他の猫では決して補えるものではない。その穴はその猫の形をしていて複雑で唯一無二だから、他の猫の形ではどうやっても埋まらないのだ。それはどんな猫においてもそうだろう。亡くなった猫の事は、きっとずっと脳裏にあって、事あるごとに思い出したりするんだろう。共に過ごした年月の長さとは関係なく。
夜、かつお節を1口2口しか口にせず、自力でトイレと水を飲みには行くものの、かなり元気がない。加えて家人も食あたりか何かで寝込んでしまい、1人不安感に襲われる。それでも翌日家人は仕事に行かねばならないらしく、家を無人状態にしておくのが嫌だったので、翌日のバイトを休ませてもらった。楳の横で寝て(本当なら嫌がるタイプなのに動く元気もないみたいだった)、何度か楳のお尻を撫でて保護した時を思い出させる骨々しさに泣く。楳と初めて出逢った瞬間の事ははっきり今でも思い出す。マンションの階段の上と下で目がバチッと合ったあの瞬間から全ては始まった。あれは私と楳だけの誰も割り込めない大事な記憶だ。楳は覚えているだろうか。

11/30 
自分で歩いて水を飲み、トイレにも行くが、楳の食欲は戻らないので、病院へ点滴を打ちに。次は私一人で自宅でやる点滴を受け取りに来るのだろうと思っていたが、タクシー移動ならば楳の負担も少なそうだったのでプロにお願いする事に。帰宅するやトイレでウンコをした。復調したかと思ったが、やはり食欲が劇的に戻る事はない。夏に救急で同じ点滴をしてもらった時はスッと良くなっていたのだけれど。それだけ楳が弱っているという事だろう。無理矢理ペーストゴハンを口に入れるも数口で嫌がって逃げてしまう。私と距離を取る。それを捕まえてまた口に入れる。というのをやっていたら楳が可哀相で泣いた。楳に嫌われたまま別れるのかなあと思ったら、また悲しくて泣いた。
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1/9 23時20分、我が家の愛猫・楳が亡くなりました。

この1ヶ月ほど食欲減退などの不調が続いていましたが、8日朝になり急に症状が重くなり、それでも一進一退を繰り返して少し持ち直したかと思っていたところ、夜、大好きな家人が帰宅するのを待っていたかの様に、私と家人に見守られ、旅立ちました。
最期まで楳は楳らしく、本当に立派でした。

急なご報告となり驚かれる方もいらっしゃると思いますが、実は昨年7月、既に楳は余命を宣告されていました。けれどその期日を超え、もうすぐ3ヶ月を過ぎようというところで、これは宣告した当のかかりつけ医も驚く頑張りでした。
あの手この手を尽くしたつもりですが、悔やむ事はやはり沢山あります。それでも我が家にやって来てから4年近くもの間、ずっと病と闘ってばかりだった楳に、もう十分頑張った、お疲れ様でした、という気持ちです。

楳を通して、沢山の方とのご縁を頂いた事を、今改めて感謝しています。楳という猫がいなければ広がる事は無かっただろうご縁です。野良上がりの難儀な性格であったにも関わらず、直接的にも間接的にも多くの方々に可愛がって頂きました。猫ビギナーであった私に、楳との出逢いから闘病に至るまで、皆様から沢山の励ましやアドバイスを頂いた事も本当に感謝しています。そして楳カレンダーを手にして下さった皆様にも感謝の気持ちと共に、こんな風に悲しいお知らせをしなければならなくなってしまった事を心からお詫びします。

正直私もこんなに辛く悲しい事はありません。宣告を受けた日からずっと覚悟をしてきたつもりでしたが、そんな事、出来るものではないのですね。今月末には我が家にやって来て4年、推定5歳の誕生日を迎える予定でしたが、そんな記念日などは人間の勝手で作ったものだよ、と楳に笑われている気がします。人間の思い通りにはいかないのが楳でしたから。と言いつつも振り返れば様々な局面で何と飼い主孝行な猫だったのだろうかと思います。

そして昨夜楳を看取った直後に、私の作品制作、人生においてかけがえのない大切な恩師の訃報が飛び込みました。ただただ頭が真っ白になり、訳もわからず悲しみと混乱のまま、楳の傍らで夢うつつの状態で朝を迎えました。そしてこれを書いています。

今はただ最期まで立派だった楳に恥じない様に、私もちゃんと楳を見送らねばなりません。今はそれしか出来ません。楳の顔はとてもきれいです。とても気持ち良く眠っている様に見えます。この2日間はあまり眠れていなかっただろうから嬉しそうに笑っています。身体は随分痩せてしまいましたが、猫としては1番美しい時期だったのだなあと改めて思います。本当にとても美しい猫でした。



愛しの愛しの楳。私の1番目の猫。
ありがとう。ごめんね。お疲れ様。本当によく頑張った。
絶対に忘れない。
ありがとう。またね。
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