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梅の花を買おうと思っていたら、たまたま通りすがりの八百屋で桃の花が売られていたのでちょっと早い雛祭り。楳を保護した後、桃の節句に友人が「楳ちゃんは女の子だから」と桃の花を持って遊びに来てくれた事を思い出す。

昨日は楳の四十九日でありました。
本来はこの日までに埋葬しなければ魂が彷徨ってしまうと聞いたものの、まだ冷たそうな土に返すのも寒がりの楳にフギー!と抗議されそうなので、もう少し暖かい季節にする事にした。予定しているお寺は桜がきれいな場所だそうだし(さらにご近所の先輩猫さん達が眠っているのも心強い)、出来たら桜の季節に。

昨日やっていた刷り作業の途中で、ふと思い立ち楳版を作ってみた。保護服を着ているものとそうでないものと色々迷って結局香箱楳。
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楳が亡くなってからは初めての楳版。しばらく作る気にはならないだろうと思っていたけれど、四十九日という節目に突如作っておこうという気になった。なったはいいけれど、いざ作り始めたらやっぱり涙ボタボタ垂れ流し状態でいやはや参った。でもこれもリハビリのひとつだろうと思う。人によってリハビリ方法は色々あるだろうけれど、私にはこれが良いのかもしれない。

こちら版。版の方が顔がかわいい。
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数日前、1階の日だまりで煤と墨が昼寝をしていた。
楳は1階の窓辺が好きだったけれど、煤墨がやって来てからは最期まで2階暮らしになってしまい、3匹が揃って1階で日向ぼっこする姿はついぞ見られなかったと、それが心残りだったけれど、ああ、ちゃんとここに居るんだなあと思った。
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2/24(日)AM10時〜12時、南阿佐ヶ谷のオトノハさんにて開催される朝市で、阿佐ヶ谷住宅の水仙の球根を配布されるそうです。
詳細はコチラコチラをどうぞ。

今日、税務署に行くついでに阿佐ヶ谷住宅へ行ってきました。というよりも阿佐ヶ谷住宅のついでに税務署、が正解かもしれません。杉並区税務署は阿佐ヶ谷住宅の目の前にあって、私にとっては毎年面倒な申告も「まあでも、阿佐ヶ谷住宅を散歩出来るし」というオマケ付きだった訳です。「阿佐ヶ谷には阿佐ヶ谷住宅がある」という事が、阿佐ヶ谷で暮らしていた1年前まで、いや引っ越して少し離れてしまった今でも、何だか自分勝手に誇らしいと思えました。

もしも今まで知らなかった、一度行ってみたいと思っていた、という方が居たらどうか早いうちに。毎春美しい姿を見せてくれた桜の木々に現れた小さな蕾は今年も咲く気満々ですが、その開花を見る事はもう出来ないかもしれないそうです。
形があるものはいつか無くなるというのは仕方のない事かもしれませんが、天寿を全うしたとは到底思えない木々や草花の静かながら力強い息づかいを感じるにつけ、一部外者の立場でありながら、やはり複雑な気持ちです。

人の手と生き物が長い時間をかけて築き上げた素晴らしい生態系。
あとどのくらいの猶予なのかはわかりませんが、私もなるべく足を運んでこの目にあの風景を焼き付けたいと思います。

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<2/25追記>
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昨日開催されたオトノハ朝市で、阿佐ヶ谷住宅の水仙の球根を頂いてきました。
思った以上に沢山あってビックリ。球根の植え替え時期としてはまだ時期尚早の様ですが、そのままでいたら確実に途絶えてしまう訳で。丁寧に丁寧に掘り起こされた球根を半分は鉢植えに植え替え、半分は日陰干しにして、次の植え替え時期を待ってみようと思います。

「これネギ?」「ニラじゃない?」
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風でヨレヨレになってしまいましたが、もう花の終わった球根は葉の栄養分を吸って次に咲くためのエネルギーを蓄える期間に入るそうなのでこのまま見守ろうと思います。また咲いてくれたらいいなあ。
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楳ちゃんに、と美味しそうな伊予柑が届いた。
昨日は楳の月命日で、そんな風に気にかけて頂く事に恐縮しつつも、とても有難いなあと思う。

もう1ヶ月というよりは、どうにかこうにか過ごしてきて、気付いたら1ヶ月経っていた、という感じだ。
恥ずかしながら、1日たりとて涙が出ない日は無い。楳は私の日常だったから、いちいちその喪失感と戦う気は最初からない。もうそれは仕方ない。
特にバイトの帰り道はヨボヨボである。大丈夫だとは思っていても、いつも最寄駅から夜道を走って帰った。玄関のドアを開けて、私を出迎える煤墨の相手もそこそこに(ひどい)、階段を駆け上がり楳を見つけて「よかった、生きてた」と思った。走らなくても、寄り道してもよくなった帰り道は、何だかひどく腑抜けていて淋しく感じてしまう。

風景の中に残像の様な楳の姿が見える瞬間がある。家の中だけでなく、外を歩いていても。元々猫とは幻の様な存在だなあと思ってはいたけれど、楳という猫は生前は「居るのに居ない」みたいだったし、今は「居ないのに居る」みたいで、とても不思議だ。
反面、夢には全く出てこない。元々楳が夢に登場する事は無かったくせに、チラッとでも夢に出てきてくれたらと毎晩念じて床についていたのだけれど、今日「夢に出てこないのは、向こうで元気で楽しくやっていて、忙しくてそれどころじゃないからなんだよ」という話を教えてもらった。そうか、ならばもうこのまま出てこなくてもいい、どうか向こうで楽しくやっていてくれ、と考え改めた。とはいえ、いつか「久しぶりに噛み付いて起こしてやろうか」とかいって出てきてくれたら嬉しいけれど。そんな気まぐれを楽しみに待つ事にする。

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ヨボヨボだけれど、ヨボヨボなりに行きますよ。
振り返ったら、こんな寝相で笑わせてくれる子もいるからね!
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