2019年 08月 23日
シノビのこと |
実家の通い猫だった『シノビ』を里子に出して3年と少し経った昨日、久しぶりに会いに行ってきた。
これまで何度か伺った時は、ソファの下に籠城状態で、今回も姿が見られればそれだけで嬉しいと思っていたら、最初は戸惑われたものの、飼い主さんのサポートやおやつ作戦が功を奏し(笑)、最後はブラッシングもさせてくれ、手で撫でさせてもくれ、見事な家猫ぶりを見られて、本当に驚いたし嬉しかった。
「シノビがこんな風に毎日通ってくるようになったのはあなたに責任がある。今はいいかもしれないが、あなたがそこに居なくなったら、どうするつもりですか。」
両親の介護のため、自宅のある東京を離れて、月の半分を青森の実家に滞在するという生活をつづけていた頃、思うように仕事や制作も出来ず、行きたいところにも行かれず、会いたい人にも会えずという生活は、それまで自由気まますぎた人生を送ってきた私にとっては、大変なストレスだった訳だけれど、しかしそのどれもが、まだ若く甘えたい盛りの2匹の愛猫と離れ離れでいる、ということに比べたら大したことではなかった。
たまたま庭に現れた生粋の野良猫であるシノビは、決して人間に触れさせることは無かったし、近寄る事すら出来ず、愛想を振りまくこともなかったけれど、その姿を見られるだけで救われた。シノビを餌付けするということで、どうにかこうにか自分を慰めていたというのは、今となっては何と身勝手で恥ずかしいことだろうかと思うが事実だ。だからこそ、先の言葉に腹が立ってしまった。あまりにも痛いところを突かれたからだ。
そんな事言われたってどうしろと、私は毎日毎日親の世話でいっぱいいっぱいなんだよ、ここから更に猫を抱え込むなんて無理、第一この家は私の家じゃない。血が上った頭の中で半ば逆ギレ気味に、正当な理由にもならないただの言い訳を並べ立てたが、次の瞬間、そんな怒りも言い訳も全て急速冷却された。
これまで何度か伺った時は、ソファの下に籠城状態で、今回も姿が見られればそれだけで嬉しいと思っていたら、最初は戸惑われたものの、飼い主さんのサポートやおやつ作戦が功を奏し(笑)、最後はブラッシングもさせてくれ、手で撫でさせてもくれ、見事な家猫ぶりを見られて、本当に驚いたし嬉しかった。
「シノビがこんな風に毎日通ってくるようになったのはあなたに責任がある。今はいいかもしれないが、あなたがそこに居なくなったら、どうするつもりですか。」
両親の介護のため、自宅のある東京を離れて、月の半分を青森の実家に滞在するという生活をつづけていた頃、思うように仕事や制作も出来ず、行きたいところにも行かれず、会いたい人にも会えずという生活は、それまで自由気まますぎた人生を送ってきた私にとっては、大変なストレスだった訳だけれど、しかしそのどれもが、まだ若く甘えたい盛りの2匹の愛猫と離れ離れでいる、ということに比べたら大したことではなかった。
たまたま庭に現れた生粋の野良猫であるシノビは、決して人間に触れさせることは無かったし、近寄る事すら出来ず、愛想を振りまくこともなかったけれど、その姿を見られるだけで救われた。シノビを餌付けするということで、どうにかこうにか自分を慰めていたというのは、今となっては何と身勝手で恥ずかしいことだろうかと思うが事実だ。だからこそ、先の言葉に腹が立ってしまった。あまりにも痛いところを突かれたからだ。
そんな事言われたってどうしろと、私は毎日毎日親の世話でいっぱいいっぱいなんだよ、ここから更に猫を抱え込むなんて無理、第一この家は私の家じゃない。血が上った頭の中で半ば逆ギレ気味に、正当な理由にもならないただの言い訳を並べ立てたが、次の瞬間、そんな怒りも言い訳も全て急速冷却された。
「私が保護して、うちで面倒見ますよ。人馴れ訓練して里子に出します。」
と言われたのだ。
とあるシェルターの管理人であったその人とはSNSでこそ繋がってはいたものの、その段階では面識もなく、日々更新される活動ブログを一方的に読み、たまにコメントやDMのやり取りがあったというだけの関係。であるにも関わらず「捕獲器を持って青森まで行きます。」と打診され、私は混乱した。
いやいやいやいや、ただでさえ飽和状態と伝え聞くシェルターに、そことは縁もゆかりもないシノビを?日々更新されるブログでは体に鞭打ち、寝る間もなく沢山の猫たちの世話をしているというこの人に、私の身勝手で中途半端な通い猫にしてしまった猫を託す?新幹線代をかけて、時間をかけて、はるばる青森まで来てもらう?その間シェルターの猫たちの世話は誰が?いやそもそもそこまでして何故?脳内で激しく「?」が行き交った。なんの心構えもなく、突然崖っぷちに追い詰められたような気持ちのまま咄嗟に「いえ、私が自分でなんとかします!」と答えていた。
たぶん頭の混乱以上に、なんでそこまで言われにゃならんのだ、という怒りと、赤の他人にそこまでさせてしまうほどの大きな過ちを私は犯してしまったのか、というショックがあったと思う。私の原動力は大抵いつも怒りか悲しみという負の感情なのだ。
季節は真冬。地元では割と有名人だった母の葬儀は「こじんまりと」が許されるものではなく、全く頼ることのできない認知症の父を表に掲げながらも実質喪主として動いていた私は、通夜葬儀の手配の中、来客の隙をついてコソコソとシノビの餌やりのために斎場から実家に通った(なんなら危篤の時も通った)。自分でも馬鹿かと思ったし、母はそんな娘にさぞかしあきれ果てた事だろう。 母に言われていた「野良には野良の生き方があるんだから」という言葉が何度も浮かんだ。
しかし母を亡くした悲しみや、3年続いた闘病サポート生活から突如解放された虚脱感を感じずに済んだのは、その後の慌ただしい手続きや残務処理の嵐にもまれたからというのはあるけれど、シノビとの格闘の日々のお陰が大きかった。人馴れ訓練はまさに「格闘」で、猫とはいえ「野生動物」と意思疎通をはかろうというのは、果てしなく遠い夢のように思え、後悔と葛藤の日々でもあった。シノビにしたら突如恐ろしい何者かに捕まえられて、痛い手術までされて、狭いケージの中に閉じ込められているのに、いきなり仲良くしようだなんて虫が良すぎる話だ。当然の行動としてありとあらゆる攻撃性をぶつけられ、私はそれを甘んじて受け入れつづけるしか出来なかった。こちらは何をされてもあなたに攻撃をしないということを伝えつづけるしかなかった。
ケージ越しの付き合いは3ヶ月に渡り、その間もSNS上で無責任なコメントに吐きそうになったり、あれだけ後ろ向きな気持ちで見切りスタートした行動を「100%優しさ」と受け取られることにも吐きそうになったり、過度な猫愛故の「良かれと思って」コメントにも吐きそうになったり、人格的に相当荒んでいたと思う。実家の残務処理や断捨離に、父の緊急入院というオマケもつき、本来一番のストレスであった「東京の愛猫2匹と離れ離れ」を、シノビのお世話によって自ら最長記録を打ち立ててしまい、一体自分は何をやっているのか訳が分からなくなりながらも、しかし目の前のシノビとの対峙に没頭することで、たぶん生きていた。
人馴れ訓練のアドバイスや、ケージからフリーにするタイミングを享受してもらったのも先に挙げたシェルターの人だ。その全てが役に立ったと思っている。けれど、後々になって、そのシェルターに大きな問題があったことを知った。沢山の猫たちが劣悪な環境にいたことが明るみになったことに、言葉に出来ないほどのショックを受けたし、あの時シノビを渡さなくて良かったと心から思った。でも同時に、あの時私をけしかけてくれた事に感謝したのだ。もしあのタイミングでシノビを捕獲していなかったら、私はおそらく自分の都合だけで餌を与えつづけて、後になって遅すぎる後悔をしていたに違いない。
「あなたに責任がある。」
という言葉に嘘はない。全くその通りだ。
と言われたのだ。
とあるシェルターの管理人であったその人とはSNSでこそ繋がってはいたものの、その段階では面識もなく、日々更新される活動ブログを一方的に読み、たまにコメントやDMのやり取りがあったというだけの関係。であるにも関わらず「捕獲器を持って青森まで行きます。」と打診され、私は混乱した。
いやいやいやいや、ただでさえ飽和状態と伝え聞くシェルターに、そことは縁もゆかりもないシノビを?日々更新されるブログでは体に鞭打ち、寝る間もなく沢山の猫たちの世話をしているというこの人に、私の身勝手で中途半端な通い猫にしてしまった猫を託す?新幹線代をかけて、時間をかけて、はるばる青森まで来てもらう?その間シェルターの猫たちの世話は誰が?いやそもそもそこまでして何故?脳内で激しく「?」が行き交った。なんの心構えもなく、突然崖っぷちに追い詰められたような気持ちのまま咄嗟に「いえ、私が自分でなんとかします!」と答えていた。
たぶん頭の混乱以上に、なんでそこまで言われにゃならんのだ、という怒りと、赤の他人にそこまでさせてしまうほどの大きな過ちを私は犯してしまったのか、というショックがあったと思う。私の原動力は大抵いつも怒りか悲しみという負の感情なのだ。
そこまで言われては絶対に私が捕獲して、私が人馴れ訓練する、何なら私が東京の家で飼う、これで文句はないでしょう、という気持ちだった。捕獲器を貸し出してくれるという提案も梱包や送料、返却の手間を考えて断った。何の宛などなかったが、人馴れ訓練に必要な道具や手順などのアドバイスだけは頂くとして、あとは全て自分でやると決めた。父親譲りの良くも悪くも体面を保とうとする性格と負けず嫌いが総動員してしまったのだ。
そこから様々な準備をして、いざシノビを捕獲し、実家の一室をシノビ部屋としてケージの中での人馴れ訓練の日々が始まった訳だが、とあっさり書いているが、それはそれは物凄く大変だったのだが、結果的にそのわずか2週間後に、余命宣告より2ヶ月も早く母を看取ることになった。ああ、やってしまった。最期の2週間を看護付き施設に入所した母と入れ替わるように、私はシノビを家に入れたのだ。それを事後報告された時、母はきっと「家から親を追い出して、野良猫を入れるとは」と思ったことだろう。少なからずそれが母の生きる気力をそぎ取ったに違いないと今でも思っている。私は、やらかしてしまったのだ。
そこから様々な準備をして、いざシノビを捕獲し、実家の一室をシノビ部屋としてケージの中での人馴れ訓練の日々が始まった訳だが、とあっさり書いているが、それはそれは物凄く大変だったのだが、結果的にそのわずか2週間後に、余命宣告より2ヶ月も早く母を看取ることになった。ああ、やってしまった。最期の2週間を看護付き施設に入所した母と入れ替わるように、私はシノビを家に入れたのだ。それを事後報告された時、母はきっと「家から親を追い出して、野良猫を入れるとは」と思ったことだろう。少なからずそれが母の生きる気力をそぎ取ったに違いないと今でも思っている。私は、やらかしてしまったのだ。
季節は真冬。地元では割と有名人だった母の葬儀は「こじんまりと」が許されるものではなく、全く頼ることのできない認知症の父を表に掲げながらも実質喪主として動いていた私は、通夜葬儀の手配の中、来客の隙をついてコソコソとシノビの餌やりのために斎場から実家に通った(なんなら危篤の時も通った)。自分でも馬鹿かと思ったし、母はそんな娘にさぞかしあきれ果てた事だろう。 母に言われていた「野良には野良の生き方があるんだから」という言葉が何度も浮かんだ。
しかし母を亡くした悲しみや、3年続いた闘病サポート生活から突如解放された虚脱感を感じずに済んだのは、その後の慌ただしい手続きや残務処理の嵐にもまれたからというのはあるけれど、シノビとの格闘の日々のお陰が大きかった。人馴れ訓練はまさに「格闘」で、猫とはいえ「野生動物」と意思疎通をはかろうというのは、果てしなく遠い夢のように思え、後悔と葛藤の日々でもあった。シノビにしたら突如恐ろしい何者かに捕まえられて、痛い手術までされて、狭いケージの中に閉じ込められているのに、いきなり仲良くしようだなんて虫が良すぎる話だ。当然の行動としてありとあらゆる攻撃性をぶつけられ、私はそれを甘んじて受け入れつづけるしか出来なかった。こちらは何をされてもあなたに攻撃をしないということを伝えつづけるしかなかった。
ケージ越しの付き合いは3ヶ月に渡り、その間もSNS上で無責任なコメントに吐きそうになったり、あれだけ後ろ向きな気持ちで見切りスタートした行動を「100%優しさ」と受け取られることにも吐きそうになったり、過度な猫愛故の「良かれと思って」コメントにも吐きそうになったり、人格的に相当荒んでいたと思う。実家の残務処理や断捨離に、父の緊急入院というオマケもつき、本来一番のストレスであった「東京の愛猫2匹と離れ離れ」を、シノビのお世話によって自ら最長記録を打ち立ててしまい、一体自分は何をやっているのか訳が分からなくなりながらも、しかし目の前のシノビとの対峙に没頭することで、たぶん生きていた。
人馴れ訓練のアドバイスや、ケージからフリーにするタイミングを享受してもらったのも先に挙げたシェルターの人だ。その全てが役に立ったと思っている。けれど、後々になって、そのシェルターに大きな問題があったことを知った。沢山の猫たちが劣悪な環境にいたことが明るみになったことに、言葉に出来ないほどのショックを受けたし、あの時シノビを渡さなくて良かったと心から思った。でも同時に、あの時私をけしかけてくれた事に感謝したのだ。もしあのタイミングでシノビを捕獲していなかったら、私はおそらく自分の都合だけで餌を与えつづけて、後になって遅すぎる後悔をしていたに違いない。
「あなたに責任がある。」
という言葉に嘘はない。全くその通りだ。
普段であれば負の部分でしかない自分の性格だが、思わずカッとなった事で、自らやってみることを決断できたのも良かったと思っている。でも同じように保護した猫を、信じてシェルターに預けることになった方々の気持ちを想像すると苦しい。もしシノビがそこに行っていたら、何年も出してもらえなかったかもしれない。今もそこにいたかもしれないのだ。
4ヶ月ほどの人馴れ訓練を経て、縁が繋がり今シノビは里親さんの元で、これ以上ないくらい幸せに暮らしている。
人馴れが少しずつ進んできた頃「このまま東京に連れて行ってウチで飼いたい」という私を思いとどまらせたのは、内弁慶の煤のストレスを心配した家人の「双方が不幸せになるのだけは避けたい」という言葉だった。子猫の頃から散々寂しい思いをさせてきた2匹を一番に考えて、これから2匹が猫生を全うするまで全力で付き合う、それが私本来の責任のはずだ。
4ヶ月ほどの人馴れ訓練を経て、縁が繋がり今シノビは里親さんの元で、これ以上ないくらい幸せに暮らしている。
人馴れが少しずつ進んできた頃「このまま東京に連れて行ってウチで飼いたい」という私を思いとどまらせたのは、内弁慶の煤のストレスを心配した家人の「双方が不幸せになるのだけは避けたい」という言葉だった。子猫の頃から散々寂しい思いをさせてきた2匹を一番に考えて、これから2匹が猫生を全うするまで全力で付き合う、それが私本来の責任のはずだ。
ずっと1匹で生きてきたシノビにとってもじっくり対峙してもらえる今の暮らしぶりを見て、改めて最良の場を与えてもらえたのだと思えた。
ふくふくとしつつも、北の寒さを耐えるために蓄えられた首回りの分厚い脂肪が随分と少なくなっていて、爪を切られるのも無抵抗という姿に、ああもうシノビは頑張らなくていいんだと思ったら、後から嬉しくて泣いた。
自分の家の猫以外に、幸せを願う猫がいることがこんなにも嬉しいとは知らなかった。
ふくふくとしつつも、北の寒さを耐えるために蓄えられた首回りの分厚い脂肪が随分と少なくなっていて、爪を切られるのも無抵抗という姿に、ああもうシノビは頑張らなくていいんだと思ったら、後から嬉しくて泣いた。
自分の家の猫以外に、幸せを願う猫がいることがこんなにも嬉しいとは知らなかった。
シノビはもちろんだけれど、飼い主さんが幸せそうなのが本当に嬉しくなる。あの時の苦労が報われた、みたいには思わないけれど、とにかく2人には感謝しかない。
ありがとうシノビ。
ずっと元気で。ずっと幸せに。
___
by sakamotochiaki
| 2019-08-23 11:13
| ◎シノビ
|
Comments(1)
Commented
by
fumoccia
at 2019-08-23 17:05
x
Instagramずっと拝見しています。
長らく社宅育ちで犬も猫も飼ったことがなく、大人になって家を出て自宅を構えた今も、いろいろな事情を考えると金魚くらいしか飼えないと諦めている自分には、SNSで見知らぬ方々と猫たちの日々を垣間見せてもらえることが意想外に楽しく嬉しく、坂本さんとシノビのことも、(自分勝手にも)息を詰めるような思いで覗き見しておりました。
幸せ太りでなお丸みの増したシノビ、可愛くて嬉しくて胸がきゅううっとなります。事情も知らず無責任な思い入れで傍観していた身にも、今のシノビの、飼い主様の、そして坂本さんご自身の、さらには私を含め遠目に応援していた(しかできなかった)者たちまでもが確かに感じる幸せを導き出したのは、間違いなくあの日「カッとなった坂本さん」だと、はっきりとわかります。
何と言ってよいものか、他にことばが見つからないので、図々しく申し上げます。本当にありがとうございました。
長らく社宅育ちで犬も猫も飼ったことがなく、大人になって家を出て自宅を構えた今も、いろいろな事情を考えると金魚くらいしか飼えないと諦めている自分には、SNSで見知らぬ方々と猫たちの日々を垣間見せてもらえることが意想外に楽しく嬉しく、坂本さんとシノビのことも、(自分勝手にも)息を詰めるような思いで覗き見しておりました。
幸せ太りでなお丸みの増したシノビ、可愛くて嬉しくて胸がきゅううっとなります。事情も知らず無責任な思い入れで傍観していた身にも、今のシノビの、飼い主様の、そして坂本さんご自身の、さらには私を含め遠目に応援していた(しかできなかった)者たちまでもが確かに感じる幸せを導き出したのは、間違いなくあの日「カッとなった坂本さん」だと、はっきりとわかります。
何と言ってよいものか、他にことばが見つからないので、図々しく申し上げます。本当にありがとうございました。
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