2019年 12月 05日
あの家のはなし |
久しぶりの東京での作品展『あの猫』、無事に会期を終えました。会期中は悪天候にも関わらず、近くから遠くからたくさんの方にご来場いただきまして、本当にありがとうございました。様々なお声を頂いて、今後の制作の励みになりました。
また昨日から始まった芝生通販にもご注文下さいました皆さま、ありがとうございます。版画作品、グッズの在庫もわずかとなりましたが、マスキングテープや書籍はありますので、気になっておられた方はよろしければご利用ください。
年内の展示はこれで最後となりますが、来年もまた色んな形で作品をご覧いただけるよう、試行錯誤しつつ制作をつづけていこうと思います。どうぞよろしくお願いします。
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さて、話は変わって。
『あの猫』が始まる1週間前、ついに青森の実家を手放すことになった。
不動産屋担当者(Aさん)の見立てでは、平成2年に完成した建物の価値はほぼゼロ、平成が終わりを告げ新たな元号に移行したことで一層とその古さを強調するばかりだろうし、消費税は10%に引き上げられ、更にこれから冬本番を迎えようという北国で、わざわざ高い買い物をしようなどという人がいるとは到底思えなかった。これでまたひと冬越すことになるのか…と暗澹たる思いでいた。人が住まなくなった家は明らさまに老朽化を早める。冬の過酷な環境に晒されたらなおのことだ。両親がそこで暮らさなくなってから3年半、それを嫌というほど思い知らされていた。
そうして鼻息荒げながら仮契約のために急きょ北上し、臨戦態勢で初対面した買主さんは、一言で言うと「いい人」だった。いや「ちょっと度を超したいい人」だった。
止まらない猫トークに本題(契約)を忘れかけ、2人でキャッキャしてしまい、取り残され半ば呆れるAさんだったが、あなたもグッジョブ!「この人に任せて本当に大丈夫なのか?他の不動産屋に乗り換えるべきか」とか思って本当にごめん。こんな良縁を繋いでくれてありがとう。
家を引き渡す相手として、これ以上の人がいるだろうか。自分の引きの強さに感心しかけたが、これはあの家を自分の城として愛しつづけた母の執念による采配であり、母が最後に意地を見せたのだと思った。ありがとう母。そして私が引き継ぐことが出来なくてごめん。でもこれなら文句はないよね。そして阻みの父よ、どうだ参ったか。
先に書いたように、晩年の父には本当に手を焼いたし、その行動が本人の意図するものではなく、認知症のせいなのだとわかっていても何度も衝突した。ある時から「これはもう私の知る父ではないのだ」と思うようにもした。親類縁者が見るかもしれないここには書けない出来事が、それはそれは沢山あったのだ。
あの家の歴史は、そのまま両親の老いと共にあったせいか、私にとっては良い思い出があまりない。心の中ではずっと、あの家のせいで少しずつ坂本家の歯車が狂い始めたのではと思えてならなかった。何故ならあの家ではよく泣いた。私だけでなく父も母も。いつもどことなくしみったれていた。何がどうしてそうなったのかは、離れて暮らしていたからわからないし、そもそもは私が離れたこと自体が原因だったのかもしれない。結局全てを家のせいだと思いたかっただけなのか。
年内の展示はこれで最後となりますが、来年もまた色んな形で作品をご覧いただけるよう、試行錯誤しつつ制作をつづけていこうと思います。どうぞよろしくお願いします。
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さて、話は変わって。
『あの猫』が始まる1週間前、ついに青森の実家を手放すことになった。
父の一周忌を終えて、登記を私名義に変更してから、わずか半年手元にあった権利証は、真新しいまま司法書士の手に渡り、抹消された。
不動産屋担当者(Aさん)の見立てでは、平成2年に完成した建物の価値はほぼゼロ、平成が終わりを告げ新たな元号に移行したことで一層とその古さを強調するばかりだろうし、消費税は10%に引き上げられ、更にこれから冬本番を迎えようという北国で、わざわざ高い買い物をしようなどという人がいるとは到底思えなかった。これでまたひと冬越すことになるのか…と暗澹たる思いでいた。人が住まなくなった家は明らさまに老朽化を早める。冬の過酷な環境に晒されたらなおのことだ。両親がそこで暮らさなくなってから3年半、それを嫌というほど思い知らされていた。
しかし10月半ば、突如買いたいという方が現れた。自分で売りに出していたくせに、その申し出に正直驚いた。驚いて、そこで初めて「そうか、私は実家を手放すのだ」とようやく実感したのだ。ついに家屋や庭の維持ストレスから解放されると喜びかけたが、いや待て、人生そんな上手い話があるだろうか。Aさんから、買主の銀行融資の仮申請が通ったという報せを受けても、まだ信じられなかった。何しろこれまで何度も実家業務のあれこれに振り回されつづけてきた私は、完全に疑心暗鬼国の住人なのである。今までひとつとして何か順調にことが運んだことがあったか?…全然ない!今回だって、ただでさえ忙しく東京を離れられない個展直前という状況だ。全然浮かれることが出来ない。何故「今」なのか。
ああ、これはまた父の仕業か。私が何かことを起こそうとするといつも、それを見計らったかのように父が緊急入院したり、父が寝たきりになったり、父が施設でトラブルを起こしたり、父のあれこれがストレスとなった母が病に倒れたり、いつもいつも父によって阻まれてきたのだ。私の疑り深さが育まれたのもそのせいだ。常に不測の事態を考えすぎて準備段階で疲弊してしまうのも。ここ最近鳴りを潜めていたから(亡くなっているからだが)って私としたことが油断した。きっとこの後にも色んな絶叫&落胆アトラクションが控えているに違いない。私よ、油断すまじ…!
かつて数々の爺の阻みにひたすら反発し、生来の負けん気ひとつで今までやってきた私である。この期に及んで父がまだ私を阻もうというのならば、見事売ってやろうではないか。この私人生史上、おそらく最初で最後となる「物件売買」という大人中の大人業務を、半世紀近く生きているにも関わらず1ミリも持ち合わせていない大人力をかき集めてやってやる。そしてもちろん展示もちゃんとやり遂げる!見てろ父ー!と鼻息を荒げた。
そうして鼻息荒げながら仮契約のために急きょ北上し、臨戦態勢で初対面した買主さんは、一言で言うと「いい人」だった。いや「ちょっと度を超したいい人」だった。
資産価値ゼロ判定の家屋をとてもとても気に入ってくれ、必要な場所はリフォームし、引き渡し前に完全撤収する予定だった大きな家具類も「勿体ない」と引き継いで使わせて欲しいという。植物好きの母の情熱の結晶であったのに、それに全く興味のない私による3年間もの無法剪定を経て、残念な有様と成り果てた庭も「完璧です」と言ってくれた。まじか。Aさんからの事前情報をもとに色んな面倒臭い人シミュレーションをしていた私は拍子抜けしてしまった。
何よりその方は「保護猫」と暮らしていたのだった。それも側溝に落ちて出られなくなっていた子猫を3時間かけて保護したという猫好き垂涎エピソード付きだ。そして現在3歳となったその猫は美しい三毛猫だ(写真まで見せてもらった)。
更に2週間後の本契約時に再会すると、飼い猫は2匹に増えていた。勤めている会社で事務の女の子が保護した子猫を押し付けられたのだという。うーん女の子、グッジョブ!この人なら断らないだろうと嗅ぎつけたその嗅覚は正しい。若いのに(知らんけど)さぞや事務仕事も出来る子に違いない。しかし「いい人」というよりは「人が良すぎる」買主さんがちょっと心配にもなる。猫屋敷にはならないようにね。
止まらない猫トークに本題(契約)を忘れかけ、2人でキャッキャしてしまい、取り残され半ば呆れるAさんだったが、あなたもグッジョブ!「この人に任せて本当に大丈夫なのか?他の不動産屋に乗り換えるべきか」とか思って本当にごめん。こんな良縁を繋いでくれてありがとう。
子供の頃から生きものが大好きだという買主さんは、いずれ犬も飼いたい、今からこの家に住むのが楽しみで仕方ない、大事にします、と言ってくれた。もし後々あの庭の木がやっぱり欲しいと思ったらいつでも言ってください(それは無いが)とも。
真冬でもそこだけは南国みたいな日当たりが自慢のリビングに、三毛猫と新人猫、新人犬、50代オッサンが仲良く寝転ぶ姿を想像してちょっと泣きそうになる。そう、買主さんは私より2歳年上の男性だった。ご両親と共に暮らす予定なのだとか。(先に書いたキャッキャした2人がアラフィフオッサンオバハンであることで、急に味わい深くなりましょう?)
地方銀行の一室で執り行われた本契約手続きは、1時間半ほどであっさり完了し、あまりにも速やかに物件は引き渡された。懸念していた絶叫アトラクションもなく、荒げていた鼻息は安堵のため息に変わった。手続きを終え、それぞれが銀行を出ようとしたら、さっきまで晴れていたのが嘘みたいな土砂降りになっていた。車で送りますよというAさんの言葉を「近いから歩いていきます」と振り切り去って行く買主さんの後ろ姿を見送った。家に着くころには、私の手土産の菓子折もろとも全身ずぶ濡れだったろう。でもその後ろ姿もやはり「いい人」でしかなかった。もう会うこともないだろうけれど、どうかあの家で幸せに。
真冬でもそこだけは南国みたいな日当たりが自慢のリビングに、三毛猫と新人猫、新人犬、50代オッサンが仲良く寝転ぶ姿を想像してちょっと泣きそうになる。そう、買主さんは私より2歳年上の男性だった。ご両親と共に暮らす予定なのだとか。(先に書いたキャッキャした2人がアラフィフオッサンオバハンであることで、急に味わい深くなりましょう?)
地方銀行の一室で執り行われた本契約手続きは、1時間半ほどであっさり完了し、あまりにも速やかに物件は引き渡された。懸念していた絶叫アトラクションもなく、荒げていた鼻息は安堵のため息に変わった。手続きを終え、それぞれが銀行を出ようとしたら、さっきまで晴れていたのが嘘みたいな土砂降りになっていた。車で送りますよというAさんの言葉を「近いから歩いていきます」と振り切り去って行く買主さんの後ろ姿を見送った。家に着くころには、私の手土産の菓子折もろとも全身ずぶ濡れだったろう。でもその後ろ姿もやはり「いい人」でしかなかった。もう会うこともないだろうけれど、どうかあの家で幸せに。
家を引き渡す相手として、これ以上の人がいるだろうか。自分の引きの強さに感心しかけたが、これはあの家を自分の城として愛しつづけた母の執念による采配であり、母が最後に意地を見せたのだと思った。ありがとう母。そして私が引き継ぐことが出来なくてごめん。でもこれなら文句はないよね。そして阻みの父よ、どうだ参ったか。
先に書いたように、晩年の父には本当に手を焼いたし、その行動が本人の意図するものではなく、認知症のせいなのだとわかっていても何度も衝突した。ある時から「これはもう私の知る父ではないのだ」と思うようにもした。親類縁者が見るかもしれないここには書けない出来事が、それはそれは沢山あったのだ。
でもいつか私が人生の一大事に陥った時、一緒になって狼狽する母をなだめ、ただ冷静に出来事を出来事として受け止めてくれたのもまた父だった。その時のことを最近よく思い出す。人は死んでしまうと、辛く苦いだけの思い出も、あらかた角が取れて柔らかく変化するのかもしれない。だから父にもありがとう。
私の大学進学と共に建てられた家には、正直思い入れはほとんどない。その証拠に今でもたまに夢に出てくる「実家」は私が上京する直前まで15年暮らした旧実家だ。新たに「帰省する場所」となったあの家では、私はいつもお客さん気分だった。それでもここ6年ほど毎月通い続け、長い時は3ヶ月近く滞在することもあったので、家中の電気のスイッチの在り処も体に染み込んできたところだ。
あの家の歴史は、そのまま両親の老いと共にあったせいか、私にとっては良い思い出があまりない。心の中ではずっと、あの家のせいで少しずつ坂本家の歯車が狂い始めたのではと思えてならなかった。何故ならあの家ではよく泣いた。私だけでなく父も母も。いつもどことなくしみったれていた。何がどうしてそうなったのかは、離れて暮らしていたからわからないし、そもそもは私が離れたこと自体が原因だったのかもしれない。結局全てを家のせいだと思いたかっただけなのか。
それでももう帰る場所が無くなったという事実に呆然とする。あの家をいつか夢に見る日がくるのだろうか。その時に初めて私の中の「実家」があの家になるのかもしれない。遅すぎるけれど、たぶん。
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by sakamotochiaki
| 2019-12-05 09:48
| ◎こんな日々
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