9年目の墨のこと。 |

先日版画を刷る準備をしていて、何だか随分と久しぶりだなあと思ったら、前回の作業から一ヶ月ぶりだと気付いて驚いた。墨が亡くなる数日前に挿画仕事の刷りを仕上げたぶりだった。
発送準備まで整え、翌朝ヤマトの営業所に持ち込もうと思っていたが、前夜、墨の急変により片時も側を離れられない状況になってしまったので、急きょ集荷を申し込むことになった。間もなくやって来た集荷担当のOさんは、いつもと変わらず爽やかで丁寧に応対してくれて、私が封筒に赤マジックで書いた〈水ぬれ厳禁〉という文字を見るやサッとそれを上着の下に抱え、雨の中をトラックに向かって駆けて行った。ああ、これで何とか締め切りに間に合う。こめかみあたりに澱んでいた力が抜け、あとは墨のことだけを考えればいい、ありがとう、とOさんの背中を見送った。その日の夕方、墨は亡くなったのだ。
あの日から一ヶ月。随分とぼんやり過ごしたものだなあと自分でも呆れる。毎月細々とやっているイラスト仕事が先方の都合でお休みになったり、展示と展示の間だったり、早めに設定しておいた作業スケジュールがたまたま功を奏したりと、これまでの忙しさが嘘のようにポカーンと間の抜けた日々となった。
加えて、毎朝晩の投薬、強制給餌と給水、日に一度の自宅点滴、トイレに入った音が聞こえれば、どこにいても駆けつけて色や状態をチェックしノートに書き記す、それ以外の時間はどうしたら墨が少しでも美味しく喜んで食べてくれるかを常に考え悩むという日々のルーティンが、突如「全部しなくてよし」となったのだ。宙に浮いた膨大な時間と思考を持て余し、寝るか食べるか飲むか泣くしかない生活に、このままではあっという間に呆けるぞ……と不安になったが、しかし悲しいかな人間という生き物は、楽な生活にはどんどん適応してしまうのだった。それが、一番堪えた。
ところで過日受けたとある取材で、猫のどこが魅力ですかと訊かれた時、すぐには答えが浮かばなかった。考えてみたら、そんな基本的な質問をされたのが初めてだったからかもしれない。その場で考えてみたけれど、見た目の美しさや可愛いらしさ、思慮深そうでいて、とぼけたところなど、どれも魅力には違いないものの、しっくりくる答えとは思えず、最終的に私は「わからないところ」と答えた。私は猫のことがずっとわからない。共に過ごせば過ごすほどわからないのだ。
これまで度々SNSなどでも言っているが、私は墨のことを、自分の子供のように思ったことはない。確かに生後二ヶ月で姉妹猫の煤と共に我が家にやって来てから亡くなるまでの九年半、ほぼ猫たちを食べさせるために働き、世話を焼きつづけてきたけれど、自分を母と思ったこともない。ある時から私は墨のことを「同志」のように感じていた。これまでに我が家に起こった様々な非常事態を受け止め、共に歩む同志。
一番最初に意識したのは先住猫・楳の死だったと思う。墨は楳のことが好きだったようだが、最後までその距離が縮むことはなかった。私たちは同じように好きな者を失い、その後の時間を共に生きてきた。
小さな出来事では、猫たちの健康診断のための通院や実家帰省などのキャリー移動の際、極度の怖がりである煤をなだめ、何とか無事にミッションを遂行するための同志。
他にも両親の介護のために数年間青森に通い続けた私の不在時に、東京の家と家族を守る同志でもあった。何故か「ウチには墨がいるから大丈夫。」という絶対的な安心感が私にはあったのだ(実際に猫たちの世話は家人がやっていたのだけれど)。
そして墨の闘病に関しても、やはり同志のように思っていた。身をもって闘っていたのは墨だったが、私はとにかくサポートしながら並走することにつとめてきた。主治医も驚く墨の頑張りについては先日のブログで書いた通りだ。決して前に進むことをやめない墨の姿に、このミッション(しかしゴールはよくわからない)がこれから先も続くような気がしていた。でも、そうではなかった。病はとても手強かったのだ。そしてサポートしているつもりでいた私の何とおこがましいことだろう。並走どころか、私の方が墨に牽引されていた。
やっぱり私は墨のことを、本当のところはわかっていなかった。わかったみたいな気になって、墨も私のことをわかってくれているように思っていたけれど、後になってよくよく「本当かよ」と問い詰めてみると、それは自分が安心するために都合の良い思い込みだったに過ぎないと気付く。或いは幻想のようなものだったのかもしれない。でも、だからといって、それは悲しいことではないのだ。わからなくても、わかってもらえなくても、私は墨のことを心の底から信頼していた(どんな宗教だ。まあ猫教と呼んでも差し支えはないだろう)。
個々の存在は、お互いの全てをわかり合えなくても、たとえ一方的な思い込みだとしても、信頼し得るし、同志にもなり得るのだ。そしてそれを糧に、今日も生きてみようとすら思えてしまうのだ。
情けないことに、いまだに風呂に入る時、墨がいた時と同じように扉を少し開けてしまう。墨は「フロ」という言葉を理解していたのか、私が「お風呂に入るよ」と声をかけると、寝ていても慌てて飛んでくるほどに風呂が好きな猫だった。何がきっかけで、そんなに気に入ったのかは覚えていないけれど、お湯で顔をビシャビシャになるまで濡らされるのが好きだった。浴槽の蓋は半分だけ閉じた状態にして、その上でゴロカタゴロカタと全身を震わせうっとりとし、時にはそのまま寝てしまうこともあった。今はもう足を伸ばし放題なのに、相変わらず蓋を半分閉じ、体育座りで浸かっている。そうこうしているうちに、煤が風呂場にやってくるようになった。
いつも墨の後ろをくっついて行動していた臆病者の煤なのに、なんとも不思議でならない。もしかしたら煤には今も蓋の上でくつろぐ墨の姿が見えているのかもしれない。そう考えると、墨が好きだった玄関横の出窓や、リビングの爪研ぎベッドが最近空席のままであることにも納得がいく。実際に今でも出窓から床に飛び降りるトッという足音や、墨の首輪に付けた鈴の音が階下でチロチロと聴こえることがある。今年の2月に現在の家に引っ越した際、不慣れな空間で猫たちの居場所がわからなくなってしまわないように付けた鈴だ。首輪自体は墨の体調の良い時にだけ付けてもらっていたものだから、きっと今は病気もなく身軽になって家中を歩き回れているのだろう。
台所の木箱には墨の飲み残した沢山の薬や療養食、大小様々なシリンジ、点滴道具がまだ処分できずにそのままになっている。墨の亡くなった日曜日の夕方には、色んな感情に飲み込まれて動けなくなるし、仕事もまだ本調子とはいかない。「このままでは呆ける」不安も続いている。
煤は毎晩オーイオーイと鳴くようになった。ひとしきり鳴いてから、諦めたみたいに私の布団にやって来て眠りにつく。臆病者な上に寂しがり屋なのに人間よりもよほど頑張っていると思う。
そんな私たちのすぐ横を、墨は生きていた時と同じようにスイッと通り抜けているかもしれない。たとえ一方的な思い込みだとしても、東京の家と家族を守る同志として。
だからきっと、これからも「ウチには墨がいるから大丈夫」だ。あの日のOさんみたいに、雨に濡れないように、今私はそれを抱えている。

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