2007年 11月 06日
『眠り姫』試写 |
「こだわり」とか「ポリシー」みたいな、そんなたいそうな事は一切ございませんが、何となくタイトルは一見でそれとわかる様なものには、これまであまりしてこなかったと思いますが、今回は特例。
映画『眠り姫』試写@下北沢シネマアートンに行って参りました。
原作は私が好きな漫画家の中のお一人である山本直樹氏。と、公言しておきながら、実はこの原作を読んだ事が無かった。アイタタタ。というのも、私が所持している山本作品は殆ど古本で入手したもの(コレを言ったら友人から「わーソレ、勇気あるー」と言われたりもした。これには「ナニに使われてるかわかったもんじゃない」という意味が含まれている訳だが。まあ、確かにね。)なので、たまたま持っている本には収録されていなかった作品だった。
で、この映画の存在自体も知らず、さらに失礼ながら監督・七里圭氏の事も存じ上げなかったのだけれど、たまたま知った公式ページを見てみたら七里監督は過去にも山本作品を映画化されている方だというし、「人が姿を見せない映画」で出演者は皆「声」の出演であるというし、その中に私が今、何を演ろうとも無条件に認めてしまう希有な役者・西島秀俊の名前を見つけたりもして、即刻試写会応募の申し込みをしたのだった。
で、行ってみたら意外な事に女性が多い。いや、意外ってのは違うか。逆に納得というか、確信した、という方が正しいかもしれない。山本直樹と言えば、私がかつてそうであった様に「ただのエロ漫画」と思っておられる方も多いと思いますが、いや実際にその「エロ」度は相当なものではありますが(ご本人も自身を「エロ漫画家」と言われていたりもするし)、それ故にパッと見で女性には特に敬遠される事の多い作家さんでしょう。(絵柄もちょっとオタクっぽくもあるし)
でも、何か違う。山本さんの描くエロは言わば「必要エロ」。私もたまに男性誌などからお仕事を頂くので、何冊もご送付頂く訳ですが、そこに掲載されている言わば「無駄エロ」漫画とは、こうして今便宜上とはいえ、その2つを頭の中で比較してみたりしている自分が嫌になる程に別モノなのです。 ただ漫画を読んでいるという次元ではない世界を、極めて繊細で綿密に見せてくれる作家だと思います。
昨日会場に集まっていた女性は(全てとは言いませんが)、少なくともそういう山本ワールドが好きで、むしろ女性が読めばハマる作家なのだと勝手に確信し、勝手に自己満足した私だった。
前置きが長い。しかも山本直樹の話だし。
このくらい長いと、チェックに来られた試写会関係者の方も、読むのが面倒くさくなって飽きて帰っちゃうかなあという頭もあったり無かったり。
しかも、さらにちょっと続けて書いてしまうと、実はこの『眠り姫』という原作漫画は、内田百?が書いた『山高帽子』がモチーフになっているという。て私、そのどちらも読んだ事が無いってどうなの、ちょっとそれは読んどきたいかも、と試写二日前に試写当選の知らせが届いてやっと思い始めた。
で、当日、開店直後の高円寺文庫センターをチャリ襲来。『眠り姫』が収録されている『山本直樹ホラー作品集成/夜の領域』を入手。さすがに内田百?を数時間で読み切る自信は無かったので。(しかしこんな風に普通に売ってるところが文庫センターの素晴らしさだ)
余談だが、『夜の領域』と一緒に大島弓子の文庫本と、久しぶりに『arne』を買った。速攻で家に帰って机の上にドサドサと置いたら、読みかけの『続 人間コク宝』と滅茶苦茶な世界を形成していたけれど、私的には1本筋が通った光景だった。
で、『眠り姫』三部作読了し、下北沢入りとあいなった。
もともとこの映画は、山本直樹展の会場で流す目的で2003年に作られたもので、それを劇場公開用に撮り直したものらしい。2005年には映像と音楽の生演奏による上映も行われている。終始流れている音楽は実験音楽的で、穏やかな映像とは裏腹に不安感をビシビシ煽る。映像に合わせて奏でられる音を聴きながらの上映会は、いっそう緊張感も増して、かなり面白いものだったろうと思った。
映像もかなり実験的。本当に人はほぼ現れる事は無い。満員電車、雑踏、ファミリーレストランの隣席の聞くともなく聞こえてくる会話、靴音、学校内の反響音‥‥気配だけするのに実態はそこには無い、映像にはカラッポな景色が映るだけという不思議なアプローチ。ゆっくりと流れる映像と音声(どんなに小さなものでも)に、こちらはひたすら集中しようとする。せざるを得ない。けれど集中すればする程、うつろになっていく不思議な感覚。上映前に渡された資料の中にあった
ぼんやりと意識が希薄になっているときに、
人の眼にはどんな景色がうつっているのだろうか?
という一文を思い出し、何となく理解する。
繰り返し出て来る「ピンポン玉が落下していく」場面は、安っぽい催眠術が取り出した振り子の様に、意識を希薄にしていく作用があり、「ピンポン玉がコーヒーカップにボコリと浮き上がる」場面では言い様の無い不気味さを味わった。
原作には非常に忠実であったと思うし、七里監督の山本作品への愛情を感じたので良かったのだけれど、私が西島秀俊好きというのが災いしたのか、西島が演じる「野口」=「顔が長い男」という設定がどうしてもすんなり頭で描けず、浮かんでくるのは西島の顔ばかり(あの人、顔長くないからね)。サラッとしているくせに独特である彼の声が「声のみの出演」のせいで、余計に主張していたのかもしれないけれど、それでも声だけであそこまで聞かせる演技が出来るというのは、やはり凄い事だ。
山本浩司も良かった。実は彼を「ああ、これが山本浩司」と認識して観たのは『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』が初めてで、あとは『トニー滝谷』のメイキング作品『晴れた家』のナレーションくらいなもので、今ひとつその魅力がわからずにいたが、今回の「達ちゃん」は良かった。
声ではメインの3人(つぐみ、西島、山本)以外の人達が(とくに達ちゃんママ)、妙に声優声な感じがして、メイン3人がかなり自然であるせいか、違和感を感じたのだけれど、何しろ「声」だけで、それが誰であるかを見る側にわからせなければならない、という縛りの中では、あのくらいでなければ成立しなかったのかも、とも思えたし、もしかしたら意図的にものだったのかもしれない。
それと、映画自体には全く関係ないのだけれど、私は映画(それも静かな、シリアスなものに限って)の席運が悪いというか、昨日もたまたま隣になったカップル(会社の同僚かもしれない)の女性が、開演早々にお菓子の袋を「パリ‥‥パリパリ‥」とやり出して、むんぬ凄く気が散った。あんなに狭い劇場(キャパ50人)で、しかも「音」が頼りの作品で、あれはない。どういう作品なのか知らずに来ていたとしたって、最初の2〜3分見れば「コレが音を出してはマズい作品だ」という事くらいわかりそうなものなのに。どれだけ腹が減ってたのかは知らないけれど、「ぐううう」って腹の虫の鳴き声を聞かされた方がマシだった。よく見りゃパンプス脱いでたし。上映終了後、客電が付いてふと隣を見たら、カントリーマームやら煎餅の袋が見えて、何か、脱力。カントリーマームのパッケージがあんなにしょーもないものに見えたのは初めてだよ。
それだけが残念ポイント。
えーと、ネタバレにならないためにあらすじは一切書いていないので、何の事やら意味不明という感じでしょうが、この辺で仕事に戻ります。
最後に資料の中にあった七里監督の文章の中から一部抜粋。
それは例えば、夜の満員電車。
つり革につかまり、ぼんやり窓外の闇に目をやる、会社帰りの女性。
その生気を失った表情に、思うのです。
ああきっと今、彼女の目に人は映っていない。
人のいる鬱陶しい世界から遠ざかって、正気を保ってる。
※2007年11/17(土)よりユーロスペースにてレイトショー公開です。
公式サイトhttp://www.nemurihime.info/
興味を持たれた方はぜし。
by sakamotochiaki
| 2007-11-06 12:49
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