2008年 06月 04日
目くじらを立てたい訳じゃあない |
久々に頭痛起床。お陰でゴミ出しは余裕だった。
一昨日の月曜日、不燃ゴミを出そうとしたら、うちのマンションのアホ住人が出したと思しきゴミ(無分別でキャットフードの空き缶が大量に入ったもの)がカラスに荒らされて道路にぶちまかれていた。缶ゴミは金曜日だし、ペット不可物件だし。百歩譲って出すならせめて洗おうよ。うちのマンション住人は管理人がいるのをいい事に、非常にゴミ出しマナーが悪い。飲み終えたビールやら、コーヒーの空き缶を、他の住人の自転車のカゴに放棄していくふとどきな輩も居る。(あれ、本当に意味が分からない。)
そのぶちまかれたゴミを、親切に隣家のオッサンがほうきで掃いてくれていたのだが、恐らくこれまでも何度と後始末をしてくれていたのだろう、さすがに堪忍袋の緒が切れたのか、
「管理人に連絡してどうにかしてよ。あんたも住人なんだからさ。」
と言われる。「朝、決まった時間にゴミ出しに来たあんたが悪い訳ではないというのは重々承知しているが、しかし我慢の限界」というオッサンの気持ちはよくわかったので、謝って即刻家にビニール袋を取りに戻り、オッサンがまとめてくれたゴミを一つにまとめる。ペットフードがまだこびりついている空き缶は羽虫ブンブン飛び交っていて相当にキツかったが、私は両親に「将来は婦人警官か婦人自衛官になれ」と言われて育った程に、子供の頃から正義心が強い方(なのに、こんな末路でゴメン父母よ)であるので、「うおりゃー」と片付ける。まあ、腹立ち半分のヤケクソ感もあったけれど。
片付けながら思い出す。
以前住んでいた地域では「ゴミ当番」というのが回って来て、ゴミ捨て場の掃除や後片付けをしなければならなかったのだが、私が当番の朝、隣家に住む中国人のRさん一家が出した生ゴミが、同じ様にカラスに襲撃され、ぶちまかれていた事があった。それはもう悲惨な光景だった。何故Rさんの出したゴミだとわかったかと言うと、そのゴミの殆どが使用済みの「おむつ」だったから。その界隈で赤ん坊がいるのはRさんちだけだったから。そして普段は愉快な隣人であるRさんはゴミの夜出し常習者だった。
さすがの私の正義心もポッキリ折れそうになったが、半泣きで「うおりゃーうおりゃー」と次々おむつを新しいゴミ袋に入れ替えた。ゴミ出し当番の元締めの様なオバハン(古くからの住人)の監視の目もあったので、そらもう必至だった。
ああいう時、「私、何やってんだろう」などと考えてはならない。「自分の子でもない赤ん坊のおむつを何故」という思考を一個また一個と掴んで袋に入れる度にかき消した。無の境地に達するとは、こういう事かと思った。
さらにさかのぼって、一人暮らしをしていた頃。
春先、隣の部屋に引っ越して来た女の子がご丁寧に挨拶にやって来た。大学進学のために上京して来たという彼女は、今どき珍しい程に擦れていない、北関東訛りも微笑ましい清純そうな女の子だった。
しかし3ヶ月ほどして見かけた彼女は見事な変貌を遂げていた。髪の色も、服の色も変わり、そうでなければ女子大生に非ずと言わんばかりに、いわゆる大学デビューを果たした様子で、彼氏もやって来る様になった。そんな事は全くどーでも良かったが、ただ一点難儀だったのは、彼女がゴミを玄関のドアの外に置く事。気温も上がってきて、生ゴミの匂いが狭い部屋(1K)に充満するのは嫌だという気持ちはよくわかったが、絶対に嫌な展開になる事は予想出来た。
そして夏のある日、あまりの暑さにフラフラになりつつ帰宅したら、案の定、彼女のゴミ袋がノラ猫にぶちまかれ、それは私の部屋のドアの前まで飛び散り、放射熱で視界が揺らぐ中、悪臭を放っていた。別段驚きもしなかったし「自業自得。これで外に置くリスクを身を以て知るだろう」と無視して部屋に入ろうとした私の目に飛び込んで来たものは、使用済み「コ○ド○ム」(昼間っからごめんあそばせ)だった。炎天下、私の部屋のドアのど真ん前に、これ以上無い脱力感と虚無感をだだよわせたソレがあった。勘弁しろよ。
咄嗟に部屋に入ったものの考えた。まだ日も高く、誰が通りがかるやも知れず、しかも不運な事にブツは私の部屋の前にある。う〜う〜う〜としばし悩み、結局「うおりゃりゃりゃりゃー」と片付けた。(詳細自粛)
あれも無の境地に達した気分だった。「私、何やってんだろう」などと考えたら…(以下略)。
そして彼女はたまに見かけても、挨拶すらしてくれなくなったのだった。(自分のゴミが知らないビニール袋に入れ替えられて置いてあったんだものねえ)
だから私はゴミ出しマナーが悪い人が嫌いだ。いや、私もかなり適当な方ではあるけれど、私が気がつかぬ間に、誰かが私の出したゴミを片付けてくれている事があるかもしれないと思うと、しかもその人が静かながら沸々と怒っているかもしれないと思うと、ゴミの出し方も変わろうというものだ。ルールが面倒くさいのは誰でも一緒で、マナーの悪い人は、きっとそういう想像力が欠けている。いや、想像出来たとしも痛覚が麻痺しているのかもしれない。
と、私はゴミ問題に目くじらを立てたい訳じゃあないのだった。
話は少し変わるが、先日テレビのニュースで杉並区役所の面白い試みを知った。
建物の南側壁面に「緑のカーテン」(http://www2.city.suginami.tokyo.jp/news/news.asp?news=7190)を設置したそうである。つまり人工的に植えた植物のカーテンで日陰を作り、温度を下げる事でエアコンなどの設定温度を下げられて、省エネ貢献という話。こんな感じ↓
やるなあ、杉並。面白いよ、杉並。
建築家・藤森照信さんの本に書かれていた高層ビル緑化計画を思い出した。蔦の生命力とは凄いもので、高層ビルは蔦数株で覆い隠せるのだそうである。(たまに蔦に侵略され、もっさりと緑一色になっているボロ家を見かけますが、あの様な事です)それにより温暖化対策になるとか。何より見た目がいいよね。新宿の高層ビル群が全部緑色になったら、全然違う景色になるでしょう。
しかし杉並区役所の面白い所は、普通の蔦ではなく、アサガオやヘチマ、キュウリ、ゴーヤを使っているという点。葉っぱどころか実もなるなんて素敵。まあ、実際は実がなってしまうと、その重みでつるが上へ伸びづらくなるため、その前に摘み取ってしまうらしいのだけれど、摘み取り損ねた実が成長し、上の方でなってしまった場合は、建物の窓から高枝切りばさみを伸ばして、切り落とすのだそうな。想像すると実にのんきでいい絵。穫れた実もアサガオの種も「杉並区役所ブランド」として売ったり、配ったりしたらいいのになあ。
5/22の段階ではヘチマ200cm、キュウリ80cm、ゴーヤ40cm、アサガオ10cmだそうだけれど、計画では夏には一番上まで成長するそうなので、今後ちょくちょく見に行ってみようと思う。こういう遊び心も取り入れた、妙に目くじらが立ってない環境問題への取り組みはいいなあ。
と、また仕事の連絡待ちの間にダラダラしてしまった。
朝の頭痛は歯痛だったみたい。頭の左半分が重たい。
写真は昨日仕込んだ梅サワージュース(初挑戦)↓
by sakamotochiaki
| 2008-06-04 13:24
| ◎こんな日々
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