2008年 09月 10日
吉祥寺と西荻 |
公言通り、昨日は写真家杉本文さんと共に、吉祥寺へ『グーグーだって猫である』を観に行った。整理券配布方式であったため、1人早めに映画館へ向かったら整理番号1番2番だった。さすが平日16時台、封切り3日目とはいえ余裕だわーと思ったが、いざ上映時間に戻ったら客席は予想以上に埋まっていた。
映画はというと、いやー私、「動物映画」をわざわざお金払って映画館で観るの初めてだわ〜っはっは、とか思ったりもして、原作を読んでいるとはいえ、犬童さんなら大丈夫と思っているとはいえ、「ドン松五郎」や「子猫物語」あたりが頭をかすめないでもなかったが、猫はもはや要素の一つであり、まるで私をフェイクバードで翻弄するかの様な「犬童さん、ずるい。するいよお。」といった内容で、終始心をかき乱された。猫と吉祥寺と、何よりも大島弓子への愛と敬意を感じる、要するにとても良い作品だった。
そして自分でも「おいおい」とツッコミを入れたくなる程、冒頭から涙する私。最後の方はズルズル。ちなみに文さんもズルズル。「私、猫映画観に来たつもりだったのに〜、こんなに泣かされるとは〜。」と言っていた。
ついさっきまでブラブラしていた街並が、目の前のスクリーンに次々と現れるという不思議な臨場感、漫画制作の修羅場の雰囲気(レディコミながら、私もアシスタントバイト経験ありなのでした…)、もはや卑怯の域に達している猫の可愛さと儚さ、要所要所に盛り込まれる大島弓子作品と物語とのリンクぶりに、本当にたまらなく切ない気持ちになった。何処までがフィクションでノンフィクションなのかはわからないけれど、原作とはまた違う方法で「グーグー〜」を表現していたと思う。 綿菓子を食べた後みたいに、あっけないのに手の平に残るべったり感、 鼻腔に残る甘い香り、そんな感覚を抱く不思議な映画。それはそのまま少女漫画に抱く感覚でもあるのだ。
そんな世界を表現出来てしまう犬童さんはやっぱり凄い。途中のコミカルで、少しB級感のある描写は、好みの別れる所だろうけれど、私は犬童さんのサービス精神であると思うので、あって良かった。惜しむらくは『メゾン・ド・ヒミコ』における田中泯さんの様な、鮮烈な存在が居ない事(しいて言えば、サバ役の大後寿々花かな)で、残像として心に残るみたいな事は無かったけれど、ちょい役で現れる豪華な顔ぶれ(当然という感じで楳図先生も!)がとても楽しかった。 あ、小泉今日子も意外と良かったです。歳を取って良くなりました。 細野さんの音楽は予想通り素晴らしく、『メゾン・ド・ヒミコ』同様に、ファンタジーとノスタルジーの合間をたゆたう心地良さ。個人的には松原智恵子が大島さんの描く「母親像」にソックリで、そこに異様に感心してしまった。
猫が画面に映る度、お隣のご高齢のご夫人二人組が「あの模様、○○と似てるわ〜」とかいう話し声が聞こえたり、前の方に座っていたオッサンが、(猫の可愛さに)耐えきれず漏らした声が聞こえたり、そういう所もニャンとも不思議な作品だった。ニャンとも清潔トイレ(協賛)は、しつこいくらいにアピールされていて、映画製作の大変さも垣間みた。
で、本日はみずたま雑貨店のチエちゃんと西荻。
また新たな試みが始動する事に。楽しみと緊張と同時に「ああ、こりゃー大変だああああ」という気持ちも始動。でも、面白い。頑張るぜ。
関係ないが、古ぼけた昔ながらの喫茶店の店先で、入ろうかどうしようかチエちゃんと二人で迷っていたら、そこに自転車で乗り付けた常連らしきオッサンに
「入んなよ。ここ、コーヒーが美味しいって評判だよ」
とすすめられ、ほんじゃあとオッサンの後に続いて入店したら、オッサンはその店の人だった。新手の呼び込みっ。
はいどーぞーとか言って、しれっとお冷(水道水味)を出すオッサン。ソーサーに「マンデリン」と書かれた札(他のコーヒーと間違わないためのもの)を付けたまま出しちゃったりもするのだった。
西荻、なかなかにパラダイス。
猫との生活夢想中。お一つよろしくお願いします。
by sakamotochiaki
| 2008-09-10 01:03
| ◎こんな日々
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